若い人ならば仕事を決めないまま沖縄に移住してもなんくるないさー♪(なんとかなるさ)でしょうが、ある程度の年代になると話は別。モノゴトは計画的に進めたいところ。山本さん(仮名・35歳独身)のケースを紹介します。

観光旅行と偽り、実は企業面接に

山本さんは、趣味で始めた三線と面接用の背広を持って沖縄にやってきました。滞在先はゲストハウス。1週間の滞在中、スケジュールはビッシリ。なにしろ、就職のための面接です。あらかじめネットで調べて各企業に申し込んでいたのです。沖縄の大手から中堅までその数は5社。

「沖縄の就職状況は厳しいと聞いていたから、会社にはナイショなんですよ。名目は休暇です。だから、辞めてはいません。沖縄で仕事が見付からなかったら、そ知らぬ顔をして会社に戻り、次の機会を狙うつもりなんです」

大手1社には断られたものの、面接の感触はいずれも良かったようです。どうも「三線やってます」というのが効いたみたい。中堅の1社から内定をいただくことができました。他の会社もOKだったのですが「半年間、東京で研修を」というような条件がついたため却下。

SEやってて良かったぁ~

就職難と言われる沖縄でスムーズに採用が決まったのは、彼の職種がSEだったからです。沖縄県はIT産業の育成に力を入れています。その成果もあって、県内にはシステム開発の仕事が増えています。

ただし、これらの企業のお得意先は東京などの首都圏。県内のパイだけでやっていけるほどの規模ではない。山本さんも東京出張をこなしながらの業務となります。

気になる給料ですが、待遇的には今の会社(東京)とほぼ同じでした。手取り約25万円です。山本さんいわく「僕の場合、SEの割には安月給なんですよ(笑)。だから、あんまり変わらないんだと思う」

会社は那覇市にあります。彼は、住むならば沖縄市がいいけれど、通勤に時間をかけたくないので那覇から30分圏内の宜野湾市あたりにしようかと考えています。

先日(2004年9月12日)彼は本土に戻りました。さっそく会社に辞表を出し、次は家探しのために沖縄を再訪します。家を決めてから本格的な引越しという流れです。

僕にはふるさとがない

山本さんのお父さんは転勤族でした。日本各地を転々としてきたため「僕にはふるさとがない」という山本さん。

定年退職されたお父さんは、最後の赴任地に家を建てて終の住家としています。その土地は、山本さんにとって何の感慨も湧かないと言います。

「父にはちゃんと田舎があるんですが疎遠になっています。僕にとってもその田舎は見知らぬ土地に過ぎない。父がいま住んでいる土地もまったく同じです。僕は、会社を離れても、地域の人たちと気さくに付き合えるような自分の居場所が欲しいんです。沖縄を故郷と呼べるよう、地域のなかで生きていく積りです」

計画的に賢く沖縄移住を進めながらも、山本さんの心情はウェットでした。

ふるさとがない。都会に住む人の多くが同じ気持ちを抱えています。会社に所属する時代は終わったというのに、会社を離れた時の自分の居場所がない……。

沖縄は、そうした都会人に夢を与えてくれる土地なのでしょう。

「SEをやる限り、沖縄でも激務が続くと覚悟してますよ。でも、三線を習いにいく時間ぐらいはあるでしょうから」

私は、晴れ晴れとした笑顔の山本さんを見て「彼の移住はうまくいく」と確信しました。

【沖縄ガイドの個人的感想】
会社を辞めずにナイショで就職活動。山本さんはモノゴトを計画的に進めるタイプです。彼の移住は成功するでしょう。なにしろ三線という武器!があります。三線を通して、職場だけでなく地域の人たちとも交流できるはず。あとは、沖縄で結婚相手を見つけるだけ♪
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