百年ぶりに蘇った沖縄の染織物があります。「知花花織」(ちばなはなうい)と言います。現在、その伝統技術の復元と復興が進められ、後継者の育成も行なわれています。
<写真提供・沖縄市役所総務部広報課・広報おきなわ1月号>
「知花花織」は、沖縄市知花(旧美里村知花、登川)で生まれた伝統的な織物技術でした。おもに村祭りやウスデーク(臼太鼓)の晴れ着として愛用されていたそうです。
ウスデークとは祭祀舞踊の1つで、旧暦8月15日に行なわれる五穀豊穣を願うお祭りで、女性だけで踊られるものです。
しかし、現在確認できる知花花織の染織品は、100年以上前の数点のみしかありません。調査の過程で見付かったのが男性たちの祭りウマハラシー(馬乗り競走=旧暦8月14日)の馬乗用上着や芝居の晴れ着として作られた「馬乗上着」「馬乗袴」などです。これらは沖縄市の文化財に指定されています。
現在の沖縄市知花には、グスク(城)時代(12~16世紀頃)、外国との交易を盛んに行なっていた地方豪族がいました。「知花グスク(郭の跡)」の跡もあります。グスクを中心に文化が花開き、知花花織だけでなく知花焼(美里焼)、鍛冶などの高い技術が存在していたのです。
ところが、太平洋戦争、アメリカ統治、日本本土復帰…。激動の時代を潜り抜けてきた過程で、一地方の織物の存在は忘れ去られようとしていました。これに気付いたのが1人の若者です。