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城と和菓子と花火大会、水都・大垣【岐阜】

俳人・松尾芭蕉が旅した『奥の細道』の終着地、大垣。交通の要衝として発展した大垣には、関ヶ原の戦いにゆかりのあるお城と、水都ならではのおいしい和菓子があり、そして夏ならではの花火大会で盛り上がれます!

村田 博之

執筆者:村田 博之

名所・旧跡ガイド

大垣の地図
今回の行き先は、【岐阜】
城と和菓子と花火大会、水都・大垣
俳人・松尾芭蕉が、江戸から東北、北陸を経て俳句を詠み歩いていた『奥の細道』の旅。その旅の終着地が岐阜県西部の街、大垣Yahoo! 地図情報)です。

江戸から京の都へ抜ける中山道のルート上に位置する大垣は、交通の要衝として発展すると共に、いくつもの歴史の舞台に登場してきました。

今回は、この大垣から誰もが知っている関ヶ原の戦いにもゆかりがある大垣城と、おいしい和菓子、そして夏ならではのお楽しみ、花火大会についてまとめてご紹介します。

石田三成の本拠地となった大垣城

大垣城(1)
大垣城。関ヶ原の戦いでは、西軍・石田三成の本拠地となった由緒ある城です(2003年7月撮影)
戦国時代末期、太閤・豊臣秀吉の死により混迷を深めた天下取り。豊臣秀頼を推す石田三成率いる西軍と、関東を中心に巨大な勢力を誇っていた徳川家康率いる東軍が1600年に関ヶ原の戦いで激突します。

史実でも知られるとおり、当初有利に戦を運んでいた西軍ですが、一部部隊の東軍への裏切りで形勢逆転、徳川家康率いる東軍の圧倒的勝利に。この後豊臣家を滅ぼした徳川家康は江戸に幕府を開き、戦国時代の終焉と共に天下統一を果たしました。

この時点で、石田三成が本拠地を置いたのが大垣城でした。合戦の部隊となった関ヶ原は、大垣よりも西側に位置していますが、関ヶ原の合戦の折、西軍は関ヶ原まで一旦退き、東軍を迎え撃つ形で戦ったとのことです。

大垣城(2)
大垣城の門。ここをくぐり、石段を登ると天守閣が現れます(2003年7月撮影)
大垣城Yahoo! 地図情報)は、15世紀頃には東大寺城として存在し、その時の城主が大垣氏であったことから大垣城と呼ばれるようになったとのこと。

その後1535年に美濃(現在の岐阜県)の守護を務めていた宮川安定により城郭が作られ、1588年には豊臣秀吉の命により天守閣が完成、明治に入っての廃城も免れたのですが、第二次世界大戦時に惜しくも戦災で焼失してしまいました。

しかし1959年には、昔と変わらない四層四階建ての天守閣が再建されました。約50年たった今でも、大垣のシンボルとしてたくさんの人に親しまれています。

現在では、郷土資料館として1階と2階に様々な資料が展示され、4階は展望室。昔の殿様の気分で大垣の街を見下ろしてみるのも良いでしょう。


続いては、大垣だからこそ作れるおいしい和菓子をご紹介します。暑い夏にぴったりの和菓子も登場しますよ。次ページに続きます。
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