今回の行き先は、【岩手】 奥州藤原氏の遺産、平泉の史跡巡り |
その名は奥州藤原氏。約100年に渡って陸奥の地を治めた奥州藤原氏は、拠点とした平泉に仏教の文化を根付かせ、権力の象徴として中尊寺などの大きな寺社を建立しています。
源頼朝の侵攻により奥州藤原氏が滅亡してから800年以上たった現在、今も残る歴史的価値の高い寺社とその景観が注目を集め、2006年に世界文化遺産への登録推薦が行われた平泉をご紹介します。
平泉の代名詞、中尊寺
中尊寺・本堂。1200年近い歴史を持つ中尊寺だが、この建物は明治時代に再建されたもの(2006年5月撮影) |
岩手県の南部に位置する平泉は、東に北上川が流れる小さな町。奥州藤原氏が清衡(きよひら)、基衡(もとひら)、秀衡(ひでひら)の三代に渡って拠点を置いたことでにぎわいを見せた町です。
平泉と聞いて、ほとんどの方が中尊寺(ちゅうそんじ)の名前を思い浮かべるのではないでしょうか?日本史で平安時代後期の勉強をすると、必ずと言っていいほど藤原氏と中尊寺のことは出てきたと思います。
その中尊寺(Yahoo! 地図情報)は天台宗の寺として850年に建立されました。当時は平泉の北にある江刺(えさし)にありましたが、藤原清衡が平泉に移したとのこと。1105年から広い境内の中に様々な建物の造営を行い、平泉の象徴として人々に名を知られることになります。
中尊寺境内への入口。ここから月見坂と呼ばれる坂道を上っていく(2006年5月撮影) |
月見坂を登り切り、総門跡を通って歩いていくと、所々に町を眼下に眺められる場所が用意されていますので、疲れを癒しつつ眺めを楽しむのも良いでしょう。
そのまま歩いていくと、右手に本堂への石段が現れますので、本堂へ参拝しましょう。1200年以上の歴史を持つ中尊寺の中で、本堂の建物は明治時代に再建されたもの。とは言っても、建てられてからまもなく100年を迎えようとする建物は、歴史を生き抜いてきたどっしりとした重量感が漂います。
金色堂は建物の中に
中尊寺金色堂へ向かう。金色堂は保護のため、覆堂と呼ばれる建物がかぶせられています(2006年5月撮影) |
当時の奥州藤原氏の富と権力を誇示すべく、阿弥陀如来などの仏像だけではなく、建物の壁や柱に至るまで一面金で飾られた金色堂は、見る人を圧倒させます。また藤原氏三代と秀衡の息子、泰衡(やすひら)の遺体が安置されたお堂という役割も持っています。
中尊寺が平泉に来た当時の建物で今もそのまま残るのは、この金色堂だけ。雨風が吹いても金の輝きが失われないように、金色堂は覆堂(おおいどう)と呼ばれる大きな建物をかぶせてあり、拝観に来た人は、覆堂の中に入って金色堂を見るという形になります。
今の覆堂は鉄筋コンクリート製ですが、その前に使われていた木製の旧覆堂が境内の少し離れた所にあります。室町時代から500年もの間、金色堂を守ってきた建物ということで、こちらも重要文化財に指定されています。
中尊寺には他にもたくさんの文化財や伽藍がありますので、ゆっくりと境内を散策するのも良いでしょう。
続いては、平泉にあるもう一つの大きな寺社、毛越寺をご紹介します。次ページに続きます。