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晩年の藤田嗣治を追い、ランスへ

パリ郊外、藤田嗣治のアトリエで出会ったあのすばらしいフレスコ画はシャペル・フジタ教会の為のもの。じゃあ、この目で彼の画業の集大成を見てみましょ、ってことでやって来ました、シャンパーニュの中心ランス。

執筆者:赤木 滋生


シャルトル、アミアンと並ぶフランスの3大聖堂の一つランス大聖堂。重厚さと華麗さのマッチングは見事。ゴシック大聖堂の中でも最高傑作とする人が多い。
暗闇に浮かび上がる聖母、そしてキリストの処刑。しっくいの白い壁に一気に描き上げたフレスコ画にもうぞっこん。まぶたの裏に焼きついたあの壁画の、イメージが薄れぬ間に、ぜひとも80才を越えたとはとても思えぬ、晩年のフジタの全精力を注ぎ込んだシャペル・フジタ(藤田嗣治の教会)に対面したい!そう思いはじめると居ても立ってもいられなくなった、ようし、ランスに行こう。

INDEX
  シャンパーニュと大聖堂の町ランス
  シャペル・フジタはシャンパン工場の中
  ついでだからMUMMを一杯
  どこまでも美しい珠玉の教会
  シャペル・フジタ(藤田嗣治の教会)情報


シャンパーニュと大聖堂の町ランス



ランスはシャンパンの町としても知れわたり、町中にもカーヴが多く見られる。その中でも、もっとも有名なセラーの一つ、MUMM社は藤田嗣治のパトロンだった。そしてMUMMのシャンパンの最高傑作がこれ、マム・ド・クラマン。残念ながら我慢できずにさっさと空けてしまい、残るはビンのみ。
藤田嗣治最後の傑作は絵のみならず、建物、彫刻、ステンドグラスに至るまで、トータルにデザインされた教会全体だ。1959年にランスでキリスト教の洗礼を受け、信者となったその信仰心を、自らの芸術で具現させようと教会のプロデュースを志した彼は、その時の洗礼親でシャンパンメーカーMUMMの経営者でもあった、ルネ・ラルーの助けを借りて、洗礼の地に完成させたのが1966年。藤田嗣治はその時80才だった。わずか2年後、1968年にスイスにてガンのため彼は亡くなっている。

没年から逆算しても、シャペル・フジタのデザインや壁の描画に没頭していた時、すでに彼の体は相当病魔に蝕まれていたはずだ。それでいて、なおあの力強さ、その時の藤田には神が宿っていたとしか思えない。

神が宿ったと言えばこのランスという所、神がかりの地といっても良いかもしれない。フランスのゴシック三大聖堂の一つ、名刹ランスノートルダム寺院のそびえ立つ聖地は、古くからフランス国王戴冠の地。1430年、イギリスとの百年戦争にすっかり疲弊したフランスの窮地を救ったオルレアンの少女ジャンヌ・ダルク、神の啓示により突如現れた彼女の率いるフランス軍が連勝につぐ連勝の末ついにフランスに勝利をもたらしシャルル7世に冠を授けた地こそ、このランスだ。はたして藤田も神の啓示を受け、ランスに凱旋できたのだろうか?

A4をランスセンターで降り、ランスの駅前をほんの4~500メートルも行けばローマ時代の門が見える大きなレピュブリーク広場の広場に出た。
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