国道を離れて北に向かえばすぐにオワース川にかかる橋と向こう岸の電車の駅。見上げれば、ん、どこかで見たことのある建物が。あ、あの教会だ!
当然と言えば当然ですが屋根にも壁にもゆがみはなく、のんびりした風景の中にごく自然に、静かに丘の上にたたずんでいます。この村で車はないでしょう、電車沿いの駐車場に車を滑り込ませるとパネルが貼ってありゴッホの絵の複製が。なるほど、モチーフとなった風景をパネルで示してくれているらしい。
例の絵の中の教会はノートルダム教会。祭壇の後ろのステンドグラスのある裏側を描いているんですね。こちらに来るのは猫ばかり、どうにも、いつまで眺めていても、あの絵にあるような緊迫感が私の目を通り抜けて押し寄せて来る様子はありません。
いわゆる自殺前の糸杉の時代に見られる強烈な色彩と背景の渦から湧き出る切迫感は情熱でしょうか、それとも突如としてあらわれる病に対する恐怖でしょうか。
■村と麦畑をのぞむ兄弟の墓
教会を突き当たり東に向かうとすぐにヴァンサン(ゴッホ)と弟テオのゴーグ(ゴッホのフランス読み)兄弟が眠る墓地があります。背景には果てしなく続く麦畑。パネルを探し、景色を楽しみつつ左回りにぶらぶら散策するとツーリストインフォメーションから小学校の横を抜けてピンクの壁の酒屋兼レストラン、ラヴー亭前にぽんと出てきます。
■ラヴー亭での生活
このラヴー亭の屋根裏がゴッホの下宿。現在は元通りきれいに改修されゴッホ博物館として内部を公開しています。店舗兼レストランももちろん食事が出来るようになっています。
ラヴー亭は面倒見の良い親切な経営者ラヴーさんの経営により、多くの村人や村に集まる芸術家などが集まりにぎわっていました。人付き合いの下手なゴッホも表面上は容易に溶け込むことが出来たようで、経営者の娘、アドリーヌさんの絵をはじめたくさんの土地の人の肖像画も残されています。
そもそも画家としてゴッホは多くの作品を残しながら生涯売れた絵はわずかに一枚。生活はすべて唯一の理解者、弟テオに頼りきっていました。できるだけ弟に負担をかけたくない彼にとって、パリにほど近いこのオワーズ村は、格安の下宿料と、親身になって相談に乗ってくれる医師、そして絶好のモチーフを得ることができ、気兼ねなく安定した暮らしが手に入るはずでした。しかし、終わりは突然にやってきました。1890年7月の末、自ら胸をピストルで打ち抜き、あわてて駆けつけた弟と友人達に看取られつつ37歳の生涯を閉じました。
□ラヴー亭
10:00AM~19:00(11月~3月は18:00ただし、入場は17:30迄)月曜休館
8, rue de la Sansonne
95430 Auvers-sur-Oise
TEL:33 (0)1 30 36 60 60
FAX:33 (0)1 30 36 60 61