ここに来てすでに彼の絵には主題とか言う類いの物は抜け落ち、キャンバスに描かれるのは彼の目を通して映し出される印象のみ。同じ題材が同じ構図で描かれたとしても、出来上がった作品は刻々と変化する時間と環境の変化をみごとに反映し、あたかもその瞬間々を切り取ったかのように描き分けられています。
ヴェトゥイユ(Vetheuil)
パリから30分ほど電車に揺られるとマント・ラ・ジョリー(Mantes la Jolie)という大きな町に着きます。ここから先電車はセーヌの左岸を走りますので、右岸にあるヴェトゥイユ等は見ることが出来ません。もし可能なら、車やタクシーで川を渡り右岸を行けば、ノルマンディ特有の石灰岩クリフとポプラ並木、川の流れの織り成す美しい景色の中、ヴェトゥイユからダンジョンで名高いロシュ・ギヨン城(La roche Guyon)を経てジヴェルニーに行くことが出来ます。
ヴェトゥイユはまことにひなびた田舎のたたずまいの中、モネにも描かれた教会と、今はキャフェに変わった、モネが4年足らず滞在した下宿屋が残っています。もちろん観光客の集中するジヴェルニーとは違い、観光施設というものは全く存在しない小さな村ですが、その分昔ながらのたたずまいがそのまま保存されたような場所となっています。
ジヴェルニーにモネが屋敷を構えられるようになるのは彼が40を過ぎてから。この頃になると次第にその斬新な視点と、卓越した表現力が認められるようになり。藁積みを描いた連作の展覧会が大変な好評を博すとともに、彼の経済状態は一気に好転しました。1880年を過ぎそれまでの印象派の様式の集大成を目指すべくジヴェルニーに広大な土地を手に入れ、そこに大好きな浮世絵を蒐集する屋敷と、自らの理想の絵を表現出来るモチーフ、あこがれの日本風の庭園を作り上げ居を構えたのが1883年のことでした。