パリにて後の印象派の大家となったマネ、セザンヌ、ドガ他多くの画家たちとの交流を通じその指導者としての地位を確立したモネも、評論家始めとするマスコミの評判は散々でした。絵の売れ行きも芳しくは無く、値段は依然として低迷し経済的にも苦しい中、30歳を過ぎてパリ郊外、アルジャントゥイユに居を移した彼は、しかしながら創作意欲はいっそう盛んとなり、ここでのヨット行き交うセーヌの川面に反射する光と影をモチーフとした一連の作品により印象派の様式はますます磨きがかかりました。
「アルジャントゥイユの橋」をはじめとする初期の連作は、後期の作品と違い、はっきりとしたタッチでありながら、揺らぐ水面に反射する光と透過する水の色、くっきりとした影に回り込む光が巧みにとらえられています。そこには光と影の乱舞が見事に描き出され、印象派の真髄がしっかりと確立されつつあったことがうかがわれます。
アルジャントゥイユ(Argenteuil)
サンラザール駅からコミューター電車に乗り10分、パリの西ほんの目と鼻の先にある現在のアルジャントゥイユは、当時とは打って変わって都市化と工業化の波に飲まれ、先端産業とモダンなビルの町並みとなり、モネが生活し、描いた当時の面影を求めることはかなわぬこととなりました。ルーアン方面行きの列車に乗るとここには停車しませんが、それでもセーヌを渡り右手に港が見えると、鉄橋と行き交うヨットを波間に映す風情に当時の面影を読み取ることが出来るかも知れません。
アルジャントゥイユで7年間を過ごした後、モネはさらに下流、ノルマンディの田園風景の真っ只中、ヴェトィユへと創造の場を変えてゆきました。