「“なんとなく”賃貸……」のバックボーンは、あやうい?
「親のマンションがあるから、イザとなったらそこに住めばいい」……。でもその時、そのマンション、築何年になっていますか? |
だいたい、“とりあえず”とか、“今のところは”などと言っていられる人というのは、目先の金銭的な心配というものをあまり抱えていないケースが殆どです。
そも「買うお金(自己資金)が無いから、賃貸」であるならば、「どうしようかな~」なんて、気持ちを揺らしている場合ではないからです。
「とりあえず」と言える余裕のバックボーンに、「実は実家が控えている」というケースが数えられるのは、こんな少子時代ゆえの現象かもしれません。
長男長女で結婚した夫婦の、それぞれにそれぞれの実家(持ち家)がある場合、敢えて大きな借金をしてまでマイホームを構えなくてもいいじゃないかという論理は、しごくまっとうに聞こえます。うっかりすると実家には自室(かつての子ども部屋)まで残っていたりします。
「今、親と一緒に住むのはアレだけど、何かあったら転がり込めばいいし」という目算で賃貸生活を続ける……という選択も、ですからアリといえば、アリでしょう。ただ、一戸建てであれマンションであれ、住まいというものには寿命がある、という厳然とした事実だけは、常に忘れずに置かねばなりません。
さらに他にきょうだいがいる場合に親が亡くなった時の遺産分割や、相続税の問題、また家屋敷が抵当に入っていたり、リバーズモーゲージがひそかに組まれていたりした場合などには、のうのうと「転がり込んで云々」とは言っていられなくなります。その時わかることは、所詮、親の家は親の家だったということです。
そんなあなたは「モラトリアム人間」?
「友達が家を買ったとかって聞くと、そろそろオレもかな、とか思うんだけど。」 |
ところで、言葉自体はよく?耳にする「モラトリアム」という語。「若者」とか「イマドキの新社会人」とか「団塊ジュニア」などという言葉の枕詞としても人気が高いようですが、この語が世に出てきたのはいつ頃かと言うと、なんと今から約30年前にまで遡れるというので、ちょっと驚きます。
1977年(昭和52年)、慶応義塾大学助教授だった小此木(おこのぎ)啓吾氏(精神医学・心理学者。1930-2003)が『中央公論』誌に発表した「モラトリアム人間の時代」というテキストがきっかけで、「モラトリアム」という言葉は一躍、流行語となりました。
元々は金融・政経分野の用語だった「モラトリアム」ですが、「ある状態を一時的に保ち続けること」「しばらくの間やめること」といった意味を擁しつつ、近年、法学、物理学、心理学などの広い分野で遣われるようにもなっています。
さて、これを、広義の「時間稼ぎ」「猶予期間」といった意味から、「賃貸暮らしを“なんとなく”選択している人」に当てはめてみると、
『“とりあえず”“今のところ”は賃貸に住んでいるけれど、“そのうち”“いつか”“時期が来たら”家を買ってもいいと思ってる』
という気持ちが透け見えてきます。
でも、“いつか”って、いつか必ず来るのか?といったら、そんな保障はどこにもありません。
と、言うより、「買いたくても買えない」状況は、今日日、容易く訪れます。
今日あった会社も明日なくなっているかもしれません。
先月出たお給料が、来月必ず出るかといったら、分からないのです。
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