”御三家”なる言葉のルーツ
かつて日本の音楽シーンの頂点にあった歌謡曲という世界。美空ひばりに象徴される昭和の時代のエンターテイメントという位置付けになるだろう。ときは昭和40年代の初頭、西暦では1970年代となる。当時、一世を風靡したのが舟木一夫が学生服姿で颯爽と歌う「高校三年生」。この舟木と、「潮来傘」で大ヒットを飛ばしていた橋幸夫、さらに今風に言えばイケメンで「星のフラメンコ」でこれまた青春スターの頂点を極めていた西郷輝彦を加えた3人の歌手を御三家と呼んでいた。この御三家という言い方は、その後のどういう時代にもマスメディアが好んで使った代名詞であった。
ホテル業界に“御三家”が誕生
美しい日本庭園が自慢のホテルニューオータニ |
この後、プリンスホテルが加わり一時は“御四家”なる言葉まで登場したが、やはり本物は御三家に尽きる。この御三家はサミットにおける宮中晩餐会などでのケータリングの名誉を戴き、このこともあってホテル業界のトップに長く君臨することになった。
1990年代、外資系新御三家の時代に
レディースプランなども積極的に展開している、フォーシーズンズホテル椿山荘東京 |
これに追随したのが恵比寿のガーデンプレイスに登場した「ウェスティンホテル東京」。グリーンマーブル(緑の大理石)が印象的なロビーは、「ここはニューヨーク?」と言われるほど洗練された空間を演出した。さらに結婚式会場として有名な目白の椿山荘の敷地内にオープンしたのが「フォーシーズンズホテル椿山荘東京」。世界の超高級ホテルブランドとして名高いフォーシーズンズ国内初のオープンであった。この新たな外資系高級ホテルが俗に“外資系御三家”とか“新御三家”と呼ばれるようになっていった。
次のページからは、21世紀の御三家を紐解く。