撤退はある意味においては必然だった?
旧ミノルタはデジタルカメラへの本格参入がかなり遅かった。最初に投入されたのはDimage Vという機種で、発売は1997年の5月。なんとソニーの参入よりも遅いのだ。
▲旧ミノルタによるDimageシリーズ第一弾、DimageV。レンズ部分が切り離せるギミックがあった。 |
もっとも、キヤノンやニコンもコンシューマへの投入は遅かった。しかし、参入後の注力はかなりのものだった。
それに比べ、ミノルタのデジタルカメラへの取り組みはいかにも中途半端であった。90年代に投入されたコンシューマ向けのデジタルカメラはわずかに3機種。
同時期に発売されたデジタル一眼レフの先駆けであるDimage RD3000という機種も存在したのだが、いかんせん早すぎた。まあ、採用システムがAPSのVECTISであったところから、負けるべくして負けた存在ではあったのだが。
さらに正確にいうと1995年にはRD-175というαシステム用のデジタル一眼レフ(3CCD!)も発売されていたのだが、2004年末のα-7 DIGITALまで10年に渡って後継機が存在しなかったのである。
また、コニカもデジタルカメラの発売こそ早かったものの、その後の展開は遅々として進まなかったメーカーである。
DIGITAL現場監督で工事向けというシェアを得たものの、KDシリーズに一本化されるまでコンセプトがかなりぶれていたのが惜しまれる。
この両社のデジタル転換へのスタートダッシュの失敗が後々まで響き、撤退の要因となったのは否めない事実だろう。
さて、それでは昨年に発表されたソニーとミノルタの提携による、αシステムを採用したソニーのデジタル一眼レフはどうなるのだろうか?
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