異国アメリカで、法廷にも出廷する弁護士として第一線で活躍する大塚さん。これまでの人生、そして今後の夢や抱負などを語っていただきました。
生まれは名古屋。小学校はサンフランシスコ
ホノルルのダウンタウンにオフィスを構える大塚弁護士。日本語でトラブルの相談ができる、頼れる存在です。 |
「当時はまだ海外赴任をしている企業の駐在員も少なくて、あまりよく分からずに、日本の感覚で私は公立の小学校に入れられたんですね。ところが、ここがとても悪い子どもが多くて(苦笑)、ケンカも絶えませんでしたね。」
荒っぽいアメリカの子どもたちにもまれて、大塚さんもずいぶんと鍛えられたようです。補習校としての日本語塾に通っていたのと、家では日本語だったので、大塚さんはすっかりバイリンガルの少年に育ちました。
1970年代初頭。まだまだアメリカがとても遠い憧れだった時代です。
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