2年半ぶりの帰省は、逆カルチャーショック体験
はじめての帰省。ハワイの風景とはまるで違う故郷の色にビックリ。(写真はイメージです) |
仕事では、日本から訪れる出版社の取材陣へチケットやホテルを手配したりすることも多く、実は日本への往復航空券はそれほど高くないことを知りました。当時は、ハワイで買うと日本航空が一番安く、500ドル以下で手に入ったのです。いつしか「これなら自分でも買えるなあ」と、日本への里帰りを現実のものとして考え始めるようになりました。(注:現在は、日本との内外価格差はなくなっています。)
実際に渡航を決心するきっかけとなったのは、1996年の年末で切れてしまう免許証の書き換え手続き。ないお金をさらに節約し、秋の学期が終了した12月の半ばから10日間ほど、実に2年半ぶりの帰省が実現することになりました。
初めて乗った日本航空の機内は、まさに日本そのもの。フライト・アテンダントの気遣い、アナウンスの多さや丁寧な内容、ビンゴ・ゲームなど、アメリカのエアラインでは考えられない独自の世界がそこにはありました。好き、嫌いは別として、ハワイに来てから2年半、これほどまでに「日本」を感じたことはなく、いかに自分が異次元の空間にいたかを思い知らされました。
成田に着き、近所の駅まで行くバスに乗って窓の外の景色を眺めれば、ハワイで見るのとは明らかに違う色彩。晴れているのに、辺り一面がグレイの雲に覆われたように薄暗く、木々の緑も、ほとんど黒に近いように見えました。冬場とはいえ、サングラスなしではつらいハワイと、日本の光の強さの違いに、あらためて驚きました。
到着した自分の家では、再びカルチャー・ショック。中学から暮らした自分の部屋は、まるでミニチュアの家のようでした。天井は手が届くほど低く、家の中には歩くスペースはほとんどありません。ハワイの部屋もそれほど広いわけではないのですが、ふたつの家のスペース感はまったく違いました。この小さな部屋で僕は子どもの頃から暮らしてきたのか……。
近所の商店街に買い物に出れば、師走らしく、露店で売っているミカンやしめ飾りが目に止まります。たこ焼きの匂い、買い物カゴつきの自転車、銀行の赤い看板、マフラーにあごを埋めて歩く制服の少女たち。日本に帰ってきた、という実感とともに、自分の属する世界が、変わらずにここに存在するという安堵感も覚えていました。数日いる内に、その印象は少しずつ変化していくのですが……。
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