9.11事件後、ハワイ移住を決意
テロ事件をきっかけにハワイ移住を決意した相楽晴子さんとご主人のゲイリー氏。 |
「ティーンエイジャーになれば、嫌でも親から離れていきますよね。だからそれまでは、いつも側でベタベタしていようって決めたんです。」
自宅をベースにできるご主人のアシスタントという仕事は、子育てにも便利なものでした。が、2001年9月11日に起こった同時多発テロ事件は、ロサンゼルスの撮影関係者たちに暗い影を落としたのです。それまでは豊富にあった仕事もパタリとなくなり、つぶれる会社や、日本へ引き上げる知人たちなどが相次いだとか。
8年間住んだロスを後にすることを考え始めたヘインズ一家。ハワイに移ろうというのは、マウイに3年間住んだことのあるご主人のアイデアだったそうです。
「芸能界にいた頃は、芸能人がお正月に来るお決まりの場所というイメージが嫌いで、一度も来たことがなかったんです。でも、来もしないで反対するのも変だし、ということで下見に来たのですが、主人に導かれるまま訪れたオアフ島の西側、マカハの町へ行く道中、豊かな緑やコバルト・ブルーの海、大きな空を見せられたんですね。それでもう、私はすっかりハワイが好きになっていました。」
ハワイに犬が飼える一軒家を見つけて移住。 |
「ロスの娘の学校も、常にチェーンをかけて警備員が入場者をチェックしたりして、物騒な雰囲気だったんですが、ハワイの学校を見に行ったら、皆、とてものびのびとしていたんですよね。私自身、福島の自然がたっぷりある場所で生まれ育ったので、娘はぜひこの環境で育ててあげたいと思ったんです。」
テロ事件の後、めっきり減っていたご主人の仕事も、ハワイに来れば豊富にあることも分かり、住んでいたロスの家を売って、ハワイに移住することに決定。物価の高さに驚きつつ、カハラとハワイカイの中間に、愛犬が飼える賃貸の一軒家も見つけました。2003年末。新しい生活の始まりです。
アートやカメラ、クラフトなど芸術
ハワイ移住後、プカシェルやジュエリーなどを自らデザインしはじめた晴子さん |
「刻々と姿を変える自然の風景に魅了されて、シャッターをのぞく機会が増えていきました。画家だった母の才能を受け継いだのか、自ら俳優としてクリエイティブな環境に身を置いたせいなのか、どんどんアートの世界に興味を持ち始めたんですね。」
ビーチに行ってきれいな貝殻を見つけては、オリジナルの「プカシェル」を作ってみたり、ジュエリー・デザイン他、多種多様な作品の制作を始めました。ワイキキのお店でそれを自ら販売していたこともあるとか。
共通の知人を経由して、ガイドが運営する日本人向けのフリー情報誌『アロハストリート』でフォトエッセイを書くようになったのは、2004年の暮れから。それまでも、大好きだったバリ島のエッセイを旅行会社のサイト向けに書いたり、子育てについてのエッセイを雑誌に連載したりしたことはあったのですが、ハワイについて公の場で書くのはこれが初めてだったそうです。
現在ハワイ情報誌『アロハストリート』でフォトエッセイを連載中 |
彼女が愛する自然のありのままの姿を映し出した写真の数々は、彼女とご主人が経営している撮影コーディネート会社「Gear-Man Pro, Hawaii(ギアマン・プロ・ハワイ)のホームページ上でご覧いただけます。
現在は時給8ドルでアルバイト中? 「夢は自給自足生活」という晴子さんの今後は? 次のページへ。