女優を休業して渡米、結婚、そして出産
キネマ旬報賞などの受賞暦を持つ実力派女優、相楽晴子さん。 |
1992年にロスで撮影した写真集『MOTHERS』の現地コーディネーターをしていたゲイリー・ヘインズ氏との運命の出会いから遠距離恋愛が始まり、その後は3年間、ファックスや電話での交際が続いた末の決意だったそうです。
「日本語のできるアメリカ人の友人に英語の手紙を添削してもらいながら、ずいぶんと英語の勉強をしました。やはり伝えたい思いがあると、人は必死になるし、よく覚えますよね。とにかくインターネットもない時代のことなので、たいへんでした。」
キャリアも積み重ね、いよいよこれからという時だっただけに、俳優の世界に未練はなかったのでしょうか。
現在のご主人と出会うきっかけとなった写真集『MOTHERS』 |
普通の青春時代を過ごすこともなく20代も後半に入った頃、気がつけば、お腹の中にはゲイリー氏の子供を身ごもっていました。つわりもひどくて仕事現場でも迷惑をかけそうになり、これはもう生活に区切りをつける以外にはないと、決断もできたそうです。
ご主人の仕事を手伝い「裏方」の世界を体験
今は笑い話だけれど、ロスでの生活は正直つらかったという相楽さん。 |
「病院で会計に現金をだまし取られそうになっても、文句のひとつも言えない自分の語学力のなさ。はがゆいなんてものではありませんでした。レストランでは注文を取りに来てくれないような差別にも遭遇しましたし、冷たい街の印象になじめなくて、いつも家に閉じこもっていましたね。」
そんな中で、彼女は仕事として、ご主人のアシスタントを務めていました。ゲイリー氏は日米の撮影クルーなどのコーディネーター。そして彼女は、日本の制作会社や広告会社との窓口として交渉ごとのすべてを担当していました。
「でも、やはり相楽晴子という名前で電話に出たりすると、先方もマスコミの方なので意識されてしまったりしますから、あくまでもハルコ・ヘインズという名前を通してました。で、現地入りしたスタッフと会ってから、え!?と驚かれたりして(笑)。苦情を言ってた方が、妙に恐縮したりするので、おかしかったですね。」
テロ事件を機にハワイへ移住。行かず嫌いだったハワイへの移転は、彼女にとって幸せな選択だったのでしょうか? 次のページへ。