
遺族年金さえあれば老後は安心――そう思っていても、実際の給付額だけでは暮らしていけないケースは少なくない。
増田明利氏の著書『今日、年金暮らしになった 定年を迎えた17人のリアルな老後』は、17人の高齢者へのインタビューを通して、年金生活の実態や高齢者格差を描いたノンフィクションである。
今回は本書から、夫の死後に遺族年金だけでは生活できず、清掃パートで生活費を稼ぐ71歳女性の体験談をお届けする。【前後編の前編/後編を読む】
取材対象者プロフィール
氏名:本山泰代(71歳・仮名)
現住所:埼玉県さいたま市
家族構成:なし、夫は4年前に病死
年金額:遺族年金13万5000円
その他の収入:ビル清掃パートとして8万円
住居形態:UR賃貸
維持費:家賃5万3000円
健康状態:特に問題なし
「遺族年金だけでは暮らせない」予想外だった支給額
午後4時40分。本山さんが出勤したのは丸の内にあるオフィスビルの地下3階にある清掃サービス会社の詰所。本山さんは午後5時から8時までの3時間、このビルでクリーニングスタッフとして働いている。
この仕事を始めたのは約4年前で67歳の終わり頃。それから足掛け4年、71歳になった現在も仕事を続けている。仕事の流れはどうかというと。
「まず夕方5時になると男性2人、女性2人で1階の銀行に入るんです。男性はゴミ回収と掃除機掛け、わたしたちはダスタークロスでロビーの掃き掃除とモップ掛け、カウンターの拭き掃除。これを5時30分までに完了させなければならないの」
銀行での作業を終えると、2階から10階に入居している企業や事務所テナントに入室して清掃。3~4人でひと班を作り、手分けして総数30以上のテナントに入る。ゴミ回収と掃除機掛け、拭き掃除がメインで、一室につき30分で終了するように言われている。
さらに交代制でパントリーに出された空き缶、ペットボトル、古新聞、段ボールなどのリサイクル品を回収し、さらにフロアの東西にあるトイレの清掃など、やることは山のようにある。
「71歳にもなって、パートのお掃除おばさんで働いているとは思っていなかった。余裕はなくても何とか年金で暮らしていけるものだと思っていました」
2歳上の夫は食品卸会社と什器メーカーで働き、60歳で定年退職。タクシー会社に再就職し嘱託ドライバーとして5年勤務して65歳から年金生活に入ったという。
「完全にリタイアして2年もしないで肺がんになってしまいましてね。手術したけど再発しちゃって、約4年前に亡くなりました。69歳だったから今の時代では早死にですよね」
長患いだったから医療費がかさみ、葬儀と合わせると300万円近くも出て行った。「死ぬのにもお金が必要」と思い知らされたという。
夫の死後、遺族年金支給に関する手続きを行い、本山さんは遺族年金を受けることになった。だが、予想よりかなり低い金額だった。
「事前に勉強していなかったわたしも悪いんですが、80%ぐらいは受け取れると思っていました。ところが実際には60%より少しだけ多いという程度でした」
具体的な金額は月約13万5000円。東京都の生活保護費と大差ないと知ってあ然だった。
「夫が勤めていた2社は中小企業だから企業年金なんてありません。退職金も大企業や公務員を勤め上げた人と比べたら、はるかに少なかった。蓄えもあるにはあるけど使い続けたら簡単に枯渇しちゃいます。身体が続くうちは働かなきゃ仕方ないでしょ」
67歳で仕事探し……71歳まで続ける清掃パート
そうはいっても当時で67歳。35年間も専業主婦兼たまにパートタイマーだったから、おいそれと仕事は見つからなかった。
「パートでやったのは郵便局でのメール便、小包の仕分け。お中元、お歳暮シーズンの1カ月はデパートのギフトコーナーで事務アシスト。たまに派遣で保険会社や健康食品会社のテレアポぐらいでしたからね。資格や特技を持っているわけじゃないから厳しかった」
求人情報誌を見てファストフード店の販売、外科病院の受付兼事務、燃料販売会社などのパート募集に応募してみたが、年齢を言ったら「難しいですね」とつれない対応。面接さえしてくれなかった。
「クリーニングスタッフは求人情報誌で一番募集が多かった。4社に電話したんですがすぐに面接しましょうとなったのが今のところなんです。仕事を選べるような身分じゃありません。何でもいいから収入を得なくてはと思ったんです」
まったくの未経験だったが、よほど人手不足だったようで面接1回で仮採用。見習いさんということで働くようになり、1カ月後に本採用となった。
一緒に面接を受け、同日採用だった男性は3日で来なくなったし、後から入ってくる人も数週間から2カ月ぐらいで辞めていくことが多いので、我ながらよく続いていると思う。
「身体を動かす仕事は初めてだったので、最初の1週間は疲れが酷かった。建物の中だけど歩く距離が多いので太ももとかかとに鈍痛が出ましたね。だけど半月続けたら特につらさを感じなくなった。今も他の人たちと同じペースでやれている」
【後編に続く】
「あー駄目だ。買えないよ」2980円の鰻で落ち込んで。遺族年金と清掃パートで暮らす71歳の節約生活
著者:増田 明利(ルポライター)
1961年生まれ。1980年都立中野工業高校卒。ルポライターとして取材活動を続けながら、現在は不動産管理会社に勤務。2003年よりホームレス支援者、NPO関係者との交流を持ち、長引く不況の現実や深刻な格差社会の現状を知り、声なき彼らの代弁者たらんと取材活動を行う。著書に『今日、ホームレスになった』『今日、派遣をクビになった』『今日から日雇い労働者になった』『今日、会社が倒産した』『本当にヤバイ就職活動』『今日からワーキングプアになった』『貧困のハローワーク』『今日、借金を背負った』『お金がありません』(いずれも彩図社)、『不況!!東京路上サバイバル─ホームレス、28人の履歴書』(恒友出版)、『仕事がない!―求職中36人の叫び』(平凡社)、『ホープレス労働─働く人のホンネ』(労働開発研究会)がある。






