ITジャーナリストの高橋暁子さんの著書『若者はLINEに「。」をつけない 大人のためのSNS講義』では、SNSを取り巻くさまざまな問題点や、世代間の認識の違い、そしてそれらとどう向き合っていくべきかについて、多角的な視点から解説しています。
今回は本書から一部抜粋し、個人情報の公開に対する考え方の違いや、特に議論を呼ぶことの多い「シェアレンティング(親が子どもの情報をSNSで共有すること)」のリスクと、それでもなおSNSに救いを求める親たちの心理、そして「自分と異なる相手」を理解しようとすることの重要性について紹介します。
個人情報を出すのを気にする人・しない人
人は自分のことしかわからず、自分を中心に考えるしかありません。それでも相手のことを思いやってこそトラブルが減らせるのですが、子どもの頃はそれができず、自分本意で考えてしまい、トラブルになることがあります。誰でも自分の考えは当たり前、常識と思ってしまいがちですが、実際は意外とそうではありません。
たとえば、「個人情報を出しすぎるのは怖い」と思う人は多いものです。
事実、個人情報を出しすぎることでのストーカー被害や空き巣被害、個人を特定されてさらされるリスクなどもあり、少なくとも不特定多数に個人情報をさらしすぎることはおすすめしません。
一方で、個人情報を出すことをまったく躊躇しない人もいます。
リアルタイムに自分の行動を配信し続けている人もいれば、実名や所属先、普段の日常や悩みなど、どんなことでも公開することをモットーとしている人もいます。
普通の人が出したがらない赤裸々なことを聞きたいと考える人は多く、そのようなものには一定のニーズがあり、人気があることも事実。リスクがある反面、注目を集めたり、ビジネスにつながったりすることも少なくありません。メリットがあるからこそ、リスクをとってそのような行動をしているというわけです。
リスクを知らずにしている場合は注意してあげるべきですが、わかっていてやっているのであれば、それはその人の価値観です。
周囲に迷惑をかけたり、法に触れたり犯罪などにつながらない限り、他人が口出しすべきことではないのです。
個人情報を出しすぎると感じる人が周囲にいても、頭ごなしに否定しては会話が成り立ちません。
なぜそうしているのか、そうするメリットは何かなど、コミュニケーションすることで理解できるようになるでしょう。
保護者が子どもの顔をネットに公開するのはアリ?
意見がよく分かれることに、保護者が自分の子どもの顔をネット上に公開するかどうかがあります。いわゆるシェアレンティングです。一般的には、子どもの写真を公開することにはリスクしかなく、保護者が自分の都合や承認欲求でさらすことは悪とされることも多いです。
実際、子どもの顔写真を公開することでデジタルタトゥーにつながることがあります。デジタルタトゥーとは、その人にとって不都合なネット上の情報が半永久的に残されることを指します。
2016年には、オーストリアに住む18歳の女性が自分の両親を訴えて話題になりました。両親は、彼女の赤ちゃんの頃のオムツ交換やトイレトレーニング等を含む500枚以上の写真をFacebookで友人たちに公開。彼女が写真の削除を何度も頼んだにもかかわらず、拒否していたことで訴えられたというわけです。
彼女の父親は、撮影したのは自分であり、写真の著作権や配布する権利は自分にあると主張していました。
これが間違った行為であることは、言うまでもありません。本当に大切なのは娘との関係であり、肖像権があるのですから、本人が嫌がるのであればすぐに削除すべきだったのです。
2024年、フランスでは子どもの肖像権を保護する法律が制定されました。
全米行方不明・被搾取児童センターの2020年の報告では、同年に児童ポルノサイトに掲載された写真の50%は、元々親によってSNSに投稿されたものだといいます。
そのようなことを問題視し、法で規制する国が出てきているというわけです。
子どもの写真や個人情報を公開しすぎることで、子どもが将来的に恥ずかしい思いをしたり、デジタルタトゥーになる可能性があります。児童ポルノサイト等に転載されたり、ディープフェイク動画などを作成される可能性もあります。
個人情報は一度出してしまうと完全に消すことが難しくなります。
それゆえ、保護者が勝手に子どもの同意を得ずにそのような行動をとることは慎むべきなのです。
「シェアレンティング」を否定しない理由
しかし、驚かれることがありますが、私は子どもの顔写真を公開する人たちを完全に否定してはいません。子どもが小さい頃の育児は、本当に大変なものです。多くの家庭は核家族状態であり、ワンオペ育児となる人も多く、満足に眠れなかったり、精神的に追い詰められたりすることも少なくありません。
そんな時に、SNSに投稿した子どもの写真を「かわいい!」と褒められると、それだけで気持ちが前向きになれます。「また、がんばろう」という気持ちになれます。
SNSで愚痴や悩みを言ったり、助けを求めたりすることで、先輩パパ・ママからの役立つ情報や助言がもらえたり、実際にサポートしてもらえることもあります。
特に新生児期などは一日中誰とも口を利かずに一日が終わることも多く、精神的に追い詰められやすい状態です。
そんな時にSNSで言葉をかけられることで、「自分だけじゃない」「一人じゃない」と思えたり、「大変な時期はもうすぐ終わる」と思えることの意味はとても大きいのです。
自分の承認欲求のために子どもを巻き込むことには賛成しませんが、慣れない育児に追い詰められた人がSNSに助けや救いを求めることが悪いこととは、どうしても思えないのです。
知らなかったら、「親が子どもの写真をSNSに投稿するなんて悪いことに決まっている」としか思えないでしょう。しかし、事情を知った後ではどうでしょう。それでも悪と言い切れるでしょうか。
考えが違う、行動が違うと思っても、背景にある事情や考えなどを知ることで、理解できることは多いのです。
自分は基準ではない
自分は基準とはなりません。人によって環境や置かれた状況も違うし、考え方や感じ方、価値観も違います。年齢や性別、職業、住んでいる地域や、時代によっても異なります。誰が正しくて、誰が間違っているということはありません。周囲に迷惑をかけたり、法や倫理に反したりしない限りは、それなりの道理があるものです。すべての人は自分とは違う存在です。
頭ごなしに否定するのではなく、少なくとも背景や理由を知り、理解しようとすることが大切です。自分がその選択肢を選ぶ必要はありませんが、他人が選ぶことを無下に否定することもないのです。 高橋暁子(たかはし あきこ)プロフィール
ITジャーナリスト/成蹊大学客員教授。元小学校教員。書籍、雑誌、Webメディアなどの記事の執筆、企業などのコンサルタント、講演、セミナーなどを手がける。『ソーシャルメディア中毒』(幻冬舎)など著作多数。SNSやスマホの安心安全利用等をテーマとして、テレビ、雑誌、新聞、ラジオ等のメディア出演多数。令和3年度から中学校国語教科書(教育出版)にコラム掲載中。