ミュージカル

発表!2023 All About ミュージカル・アワード(2ページ目)

ドラマ性と娯楽性を豊かに兼ね備えた舞台が多く見られた2023年のミュージカル界。その中でも特に傑出した舞台と人は? 作品賞、新星賞については受賞コメント動画付きでご紹介します!

松島 まり乃

執筆者:松島 まり乃

ミュージカルガイド

《スタッフ賞》ポール・ファーンズワース(『太平洋序曲』美術)受賞コメント 

Pacific Overtures 『太平洋序曲』ロンドン公演 Photo by Manuel Harlan

Pacific Overtures 『太平洋序曲』ロンドン公演 Photo by Manuel Harlan

――“西洋の眼を通した日本”が美しく表現された舞台美術によって、ファーンズワースさんは公演の意義の一翼を担われました。日本文化には以前から親しんでいらっしゃったのでしょうか?
 
「まず、このように質問していただき、日本のお客さまが私たちのデザインの意図を理解してくださったのだなと感動しております。

今回の舞台は西洋の眼から見た日本史――史実というより歴史の1バージョン――をお見せするものですので、私は日本美術と文化に敬意を払い、極力日本らしさを醸し出しつつ、西洋的な“ひねり”を加えようと試みました。
 
日本公演後のロンドン公演の際、出演していた日本人俳優の一人から“友人が東京公演を観て、あの舞台美術はエキセントリックな日本人によるものなのか、趣味のいい西洋人によるものなのか分からなかったそうだ”と言われ、最高の賛辞だと感じました。
 
英国には日本美術、デザイン、文化を愛する伝統があり、150年前に日本が開国した際にも美術、生地、ファッション、陶芸と、ありとあらゆる“日本のもの”のマニアがいました。現在もそれは続いていて、今週もBBCでは、日本特集のシリーズが放映されています!

ですから私も長年、日本美術やデザインに触れており、今回の舞台によってさらに深く掘り下げる機会をいただけたと思っています」
 
――初めて本作に触れた時の第一印象はいかがでしたか?
 
「ENO(イングリッシュ・ナショナル・オペラ)による1992年の公演で初めて観たのですが、その時は今回のバージョンよりずっと長く、出演者全員が男性という歌舞伎形式で演じられており、いささか混乱しました。焦点が定まらず、登場人物に感情移入しにくいようにも感じられました。
 
それから年月が過ぎ、私はソンドハイムのほとんどの作品を手掛けるようになっていました。ウエストエンドでの『パッション』のヨーロッパ・プレミアでは、彼と直接仕事もしています。モーツァルトと対面するような、忘れがたい体験です! 
 
最近になって私はブロードウェイで短縮版が上演されたことを知り、その方がより分かりやすく、人間味があると感じましたが、今回私たちが採用したのはこのバージョンです。そんなわけで、本作は30年以上にわたり、私の人生の一部となっています」
 
――本作のデザインで初めに浮かんだのは、どのようなアイデアでしたか?
 
「どの作品の時でもそうですが、デザインにあたり、私はまず本作の音楽を聴き直し、台本を読み、我らが素晴らしい演出家であるマシュー・ホワイトと話し合いました。僕らは日本美術や日本の意匠について、またお互い来日経験があったので、日本という国とその歴史についての思いを語り合いました。
 
初期段階で、私たちは今回の公演では(日本の)経済的、テクノロジー的発展ではなく、美術やデザインを写し出したいと考えました。私は北斎や広重の(浮世絵のための)海や波の習作に引き込まれました。本作は狂言回しの“Japan、ニッポン、海に浮かぶ王国”という台詞で始まりますし、それに続く歌では、“世界の真ん中、海のただなかに私たちは浮かび、現実世界は(鎖国によって)遠いまま……”といった意味の歌詞が続きます。そこで海、特に“波”のイメージが、私の中に(本作の象徴として)生まれました。
 
日本という国を思う時、私の中には“美”と“シンプルさ”という言葉が浮かびます。ならば今回のセットは美しく、シンプルなものでなければなりません。歌詞にも登場する引き戸や屏風は日本の生活に浸透しているものなので、ぜひ使いたい。私は金屏風や金の蒔絵の箱を取り入れることを考え始めました。大道具の文様はピンタレスト(これ無しで仕事ができるでしょうか!?)で発見した、日本の箱の写真を参考にしたものです。
 
また、今回は大空間に比べてかなり少ない人数の俳優たちを配する方法を考える必要がありましたが、巨大な波模様を置く事で、親密なシーンを展開する際に(観客の視線をそらさず)フォーカスを与えるのに役立ってくれたと思います」
Pacific Overtures 『太平洋序曲』ロンドン公演 Photo by Manuel Harlan

Pacific Overtures 『太平洋序曲』ロンドン公演 Photo by Manuel Harlan

――プランの実現で困難だったのは?
 
「東京公演で最も大きな試練となったのが、セットの巨大さでした! 舞台空間は非常に大きく、高さは最長で9メートルもあったのですが、大道具スタッフやプロダクション・チーム、我が頼もしき日本人アシスタントのミレイ(岩本三玲さん)の献身によって、良い形に仕上がりました。
 
ロンドンでは異なるタイプの試練がありました。会場のメニエール・チョコレート・ファクトリーはロンドンで最もエキサイティングかつ融通の利く劇場ですが、小ぶりの空間だったのです。しかし私たちはこの劇場で、日本では大劇場ゆえに予算上不可能だった、大道具に金箔を貼ることに挑戦しました。背景担当のアーティストが6人がかりで1カ月以上をかけ、床の上に四つん這いになって仕上げました。困難な仕事でしたが幸いにもそれだけの価値があり、黄金色がまばゆいセットとなったのです!」
 
――本作に関わることでポールさんの“日本観”は変わりましたか?
 
「ある文化や時代について深く研究できるプロジェクトに参加できることは、非常に名誉なことです。今回も『太平洋序曲』で、それが叶いました。

我らが素晴らしきコスチューム・デザイナーのアヤコ(前田文子さん)や、手仕事で着物を仕上げてくれた職人との出会い。日本人出演者たちに、日々の生活やこれまでの体験を話していただけたこと。所作指導の方の動きを観察できたこと。江戸時代の書を専門とする方に、(小道具の)巻物を書いていただけたこと。

これら全ては言葉に言い表せないほど、豊かな、私の人生を高めてくれる経験となりました」
 
――舞台美術に興味のある若い方々に向けて、何かアドバイスをいただけますか?
 
「こうした質問を頂いた時、私はいつもこう答えています。

この仕事はたやすくもないし、特にギャランティーが良いわけでもなければ、全くもって華やかな仕事でもありません(そう思われがちですが、私自身は一度もそう感じたことがありません……)が、非常にやりがいがあり、それはやってみなければ決して経験できません。もしあなたの心を舞台が占めているのであれば、夢を追ってみてください。
 
私自身は10歳の時から、舞台美術家になりたいと思っていました。1970年に両親に連れられてロンドンで衣裳展を見に行き、この世界に関わりたいと気づかされたのです。修業は大変ですし、長い年月も必要ですが、価値のあるものというのは何であれ、時間と努力を要するものです。これをやりたい、というものが心の中に、魂の中にあるのであれば、やるしかありません。

できるだけお芝居を観て、もし地元にアマチュアの劇団があるなら参加して、できるだけ経験を積むことです。ドアをノックし、そこにいる先輩方に、仕事や来し方について質問しましょう。そして“私がやりたいのはこの仕事か、これは私に向いているのか?”と自問し、もし答えがイエスなら続けることです。

私の経験では、多くのことが“縁”によってもたらされました。幸運な出会いは機会を産むものです。

ある時、私はひどい芝居でハチャメチャな俳優と一緒に仕事をしました。彼から“僕、『白鯨』のミュージカルを書いたんだよ。キャメロン・マッキントッシュがプロデュースしてくれるんだけど、舞台美術、やってみたい?”と尋ねられた時、“この人、こういう人だから(大風呂敷を広げているのだろうけど)とりあえずイエスと言っておこう”と思い、返事をしました。すると後日、その話は本当だということがわかり、私は実際にキャメロンのもとで美術を担当できたのです!

偶然の出会いが何をもたらすかは、誰にも予測できないものです。機会が生まれれば掴むべきだし、機会を自ら産む努力もしましょう。しかるべき時、しかるべき場にいられればいいのです。陳腐に聴こえるかもしれませんが、これは真実です。
 
そして何より、舞台美術を愛すること。そうすれば決して、“仕事をしている”とは感じないものなのです」

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