北鎌倉の円覚寺から
鎌倉は、源頼朝(鎌倉幕府初代将軍)がこの地に幕府を開いて以来、800年以上の歴史のある武家の古都である。鎌倉の観光名所で誰もが知るのは、鶴岡八幡宮と大仏(高徳院)だろう。あとは建長寺、円覚寺といった北鎌倉エリアの禅宗寺院や、境内の泉に湧く水でお金を洗うと倍増するといわれている銭洗弁財天なども人気だ。さらに無数の朱色の鳥居が連なる佐助稲荷神社や、竹の庭を眺めながら抹茶をいただける「竹寺」こと報国寺などが「映え」スポットとして知られている。
こうした観光名所を効率良く巡るには、どのようなコースを行けばいいのか、実際に歩いてみよう。 スタートはJR横須賀線・湘南新宿ラインの北鎌倉駅。東口改札を出るとすぐに円覚寺の総門が見え、その先に広大な境内が広がる。より正確に言うならば、線路の向こう側、西口の県道手前までが円覚寺の本来の境内である。明治時代に「富国強兵」のスローガンの下、鉄道を強引に敷設した結果、横須賀線の線路が円覚寺の境内を突っきることになったのだ。
この円覚寺の創建は1282(弘安5)年。2度の元寇(蒙古襲来)を戦い抜いた執権(本来は将軍の補佐役だが、実質的な最高権力者)として知られる北条時宗が、戦いで亡くなった日本とモンゴル両軍の兵士の菩提を弔うために建立した。
円覚寺を訪ねるならば、桜と紅葉の時期がおすすめだ。また、円覚寺の大きな見どころの1つである国宝建築の舎利殿は、ゴールデンウィーク中(2024年は5月3日~5日公開予定)と、秋の宝物風入期間(11月3日の文化の日を含む3日間)の一般公開時には、間近で拝観できるので、このときを狙ってみるのもいい(普段は、遠目にしか見ることができない)。
鎌倉五山第一位の建長寺へ
円覚寺の総門を出たら、目の前の道を左手へ進む。300メートルほど先で、左手に分かれる細道の奥には、「あじさい寺」として有名な明月院がある。その先の横須賀線の踏切のところで県道に出て、鎌倉駅方面へ800メートルほど行くと、建長寺という大きな寺院がある。1253(建長5)年に創建された我が国初の禅の専門道場であり、禅宗(臨済宗)寺院の格式を示す「鎌倉五山」の中で第一位に列せられている。ちなみに第二位は先ほどの円覚寺である。 建長寺を訪れるならば、やはり桜と紅葉の時期がおすすめだ。山門へ続く参道両脇の桜並木は見事である。また、特定の曜日に座禅会も開かれているので、参加してみるのもいいだろう。なお、この建長寺発祥の食べ物があるのをご存知だろうか。建長汁がなまったとされる「けんちん汁」である。寺の周囲の飲食店でも味わうことができるので、ぜひ試してみてほしい。
建長寺を出て、県道をさらに進めば鶴岡八幡宮の脇に出るが、今回は別ルートを歩いてみたい。先ほどの踏切まで引き返し、さらに少し先(北鎌倉駅寄り)に浄智寺という鎌倉五山第四位のお寺がある。この浄智寺脇の小道の奥に、ハイキングコースの登山口がある。
このハイキングコースは大仏ハイキングコースと呼ばれており、この先、源氏山を経由して大仏の裏手へと続いているので、まずは源氏山を目指して歩いていこう。鎌倉のハイキングコースは標高にすれば、せいぜい100メートル程度だが、運動靴や歩きやすい服装などは必要だ。
ご利益は財運と出世運
源氏山公園として整備されている源氏山は、標高93メートルほどの小高い丘だ。山頂部には縁結びに御利益があるとされる葛原岡神社や、頼朝の鎌倉入り800年を記念して建立された鎧姿の源頼朝像がある。この源氏山も桜の名所として知られる。 源氏山から少し坂を下ったところにあるのが銭洗弁財天宇賀福神社。洞穴のような通路が参道になっており、その洞穴を抜けた先の狭い空間が、神社の境内になっている。この神社の伝説に、源頼朝が登場する。頼朝が夢の中で「西北の仙境に湧き出している水をくんで神仏を供養すれば、天下が平和になる」とのお告げを受け、お告げにあった泉を探し当て、神様をおまつりしたのが銭洗弁財天のはじまりと伝わる。
この泉の湧き水で神仏を供養すると、国は平穏を取り戻し、民の生活も豊かになったといい、それがいつのまにか、財運のご利益に結びつけられたようである。 今も、湧き水「銭洗水」でお金を洗う、多くの人の姿が見られる。 次に向かう佐助稲荷神社は、銭洗弁財天からそれほど遠くない場所にある。この神社の参道には無数の朱色の鳥居が林立し、京都の伏見稲荷神社のイメージに近い。この神社にまつられる稲荷神が頼朝に出兵をうながし、平家討伐・鎌倉幕府樹立につながったとの伝説から、「出世稲荷」の別名がある。
佐助稲荷神社の境内裏手を、先ほどまで歩いていた大仏ハイキングコースが通っており、神社境内からハイキングコースに合流できる道があるのだが、現在、台風被害の影響でその道が通れなくなっている(2024年3月27日に現地確認)。ここから次の目的地である大仏(高徳院)までは、住宅地の中を歩いて行くしかない。
鎌倉で唯一の国宝仏
鎌倉の大仏は、総高(台座を含む)13.35メートル。鎌倉大仏殿高徳院という寺院内に鎮座し、長谷エリアにあることから「長谷の大仏様」と言われることもある。意外なことに、数ある鎌倉の仏像の中で「国宝」の指定を受けているのは、この大仏だけだ。 有名な大仏だが、建立時の明確な資料が残っておらず、謎が多いのも事実。鎌倉時代の中頃に、僧・浄光(じょうこう)が、民衆の浄財を集めて完成したことや、当初は、木造の大仏が建てられたが、大風で倒れてしまい、1252(建長4)年、現在の青銅の大仏が再建されたことなどが、わずかに伝わるのみ。なお、別途料金がかかるが、大仏の胎内(体内)拝観も可能だ。大仏からおよそ500メートルほどのところに、もう1カ所、非常に有名な観光名所がある。長谷観音(長谷寺)である。ご本尊の十一面観音像は、高さ9.18メートルもあり、歴史ある木造の仏像としては日本最大級だという。また、このお寺は海辺の高台に境内があるため、陽光眩しく、清々しい相模灘の景色を一望できる。
長谷寺はアジサイの名所としても知られており、開花時には約2500株のアジサイを一目見ようと眺望散策路に長い待ち行列ができる。また、紅葉の季節には夜間特別拝観(ライトアップ)が行われる。
鶴岡八幡宮から竹寺へ
続いて長谷駅から江ノ電に乗って鎌倉駅へ移動し、次なる目的地、鶴岡八幡宮を目指そう。鶴岡八幡宮へは、有名なカフェなどが軒を連ねる小町通り商店街を歩いて行くこともできるが、本来の正式な参道は「段葛(だんかずら)」である。鎌倉の街は、頼朝が京都(平安京)を模して造営しようとしたものの、土地が狭く、碁盤の目のような街並みにはならなかった。だが、朱雀大路に匹敵する大通りとして、若宮大路がつくられた。この若宮大路の中央に一段高く盛り土された歩道が段葛であり、地元では「置石(おきいし)」とも呼ばれている。段葛は頼朝の夫人、政子の安産祈願のために造営されたと伝わり、道の両側の桜並木が、鎌倉の春を彩る。
鎌倉で、京都の御所に当たる場所、つまり街の要に位置するのが鶴岡八幡宮だ。軍神である八幡神は、武家の都ではとても大事にされた。元々、もっと海寄りにまつられていた八幡宮(現・由比若宮=元八幡)を、頼朝が現在の場所に遷座したのだ。 鶴岡八幡宮境内に足を踏み入れると、右手に源氏池、左手に平家池、合わせて源平池が広がっている。池の周囲では春には桜と牡丹、夏にはハス、そして真冬には冬牡丹(寒牡丹)が雪よけの薦(こも)の中で大輪の花を咲かせる。
源平家の間を抜け、本宮へと続く石段の前へと進む。以前は、石段の左手に三代将軍実朝(頼朝の次男)を暗殺した公暁(くぎょう 実朝の甥)が身を隠したと伝わる「隠れ銀杏」があったが、2010年3月の春の嵐で倒れてしまった。
石段を上りきったならば、本宮の楼閣に掲げられた扁額(扁額)にも注目してみよう。八幡宮の「八」の字が鳩になっているのに気づいただろうか。鳩は八幡神の使いとされ、八幡宮の境内には鳩が多い。鎌倉銘菓の「鳩サブレー」は、八幡宮の鳩に由来する。 八幡宮を出て、バス通り(金沢街道)を東へ進むと、途中、鎌倉最古の寺院と伝わる杉本観音がある。寺伝によれば、奈良時代の734(天平6)年の創建。源頼朝が鎌倉幕府を開く約450年も前から、このお寺はこの地にあったことになる。ほかに、長谷の甘縄神明神社、坂ノ下の御霊神社などが、頼朝の鎌倉入り以前からの歴史を有する古社である。
金沢街道のさらに先に、「竹寺」として知られる報国寺がある。竹の庭の片隅には小さな庵「休耕庵」が結ばれており、抹茶をいただくことができる。以前は、風が吹けばザワザワと笹の葉擦れの音が楽しめたものだが、人気スポットとなった今、もはやそうした風情は、なかなか楽しめそうにない。ここから鎌倉駅までは、バスで帰るのがいいだろう。 さて、最近の鎌倉は平日でもオーバーツーリズム(過度な観光客の来訪)気味で、大仏などでは拝観受付に行列ができており、日によっては紹介したすべての名所を1日で巡るのは難しいかもしれない。見たい名所をピックアップして、自分なりにモデルコースをアレンジして楽しんでほしい。