滑り降りるための遊具「滑り台」、小学生の“逆走”にヒヤッとした経験も
All About編集部では、300人の子育て世代に向けて公園の利用についてアンケートを実施しました。滑り台の逆走についての項目では、「小学生くらいの大きな子が逆走してきてヒヤッとした経験がある」という小さな子の親が多くいました。滑り台の逆走は「なし」と答えた人の理由は、「危険だから」が大半。「滑り台が汚れて他の人に迷惑だから」という意見も。また、「そのときの状況に応じて可」という人のほとんどが、「周りに誰もいなくて危険でなければ大丈夫」との判断です。
イギリスのリーズメトロポリタン大学でプレイワークを学び、帰国後は羽根木公園をはじめとする冒険遊び場のプレーリーダーとして活動、現在は一般社団法人TOKYO PLAYの代表や日本冒険遊び場づくり協会の理事なども務める嶋村仁志さんは、滑り台の逆走の是非について、“白か黒か、0か100か”という考え方が危険だと指摘します。
「滑り台は『滑り降りるもの』として製作されているので、登ってくるのが当たり前として作られていないし、設置側からすれば推奨もされていないということは前提としましょう。ただ、子どもは自分の成長発達欲求から、登れそうなところには登ってしまうということも前提となります。
そうしたときに、誰もいない公園であれば大丈夫かもしれない。上から滑ってくる子がいたら、ぶつかって転落につながるかもしれない。雨上がりだったら、自分が足を滑らせて転ぶかもしれない。気持ちが高ぶっていて、大人の話が入らないかもしれない。そうしたことを伝えた上で少し待ってみるとか、身体能力もお互いに配慮する力も十分に感じられる範囲であれば大丈夫とか、見守れる状況を超えているのですぐにやめてほしいとか、登れそうな場所を別で探してみようとか、子どもと相談しながら工夫できるといいですね。
実は、子ども自身も遊びの中で状況に応じた細かい危険管理を子どもなりに日々身に付けようとしています。それなのに、何もかもを一律に完全に禁止してしまうと、子ども自身が目の前の状況を危険かどうか判断する経験値を得られなくなってしまいます。といっても、子どものすることを止めてはいけないということでもありません。大切なのは、そのバランスですね」
一概に禁止するのがよいとは言えないのは、一見危なさそうな子どもの行動には、自分がケガをしたり、誰かにケガをさせたりするリスクだけでなく、得られるベネフィット(育ちや効用)もたくさんあるからです。嶋村さんは、「リスクを冒す」というのは、人間にとってとても必要なことだと言います。
「たとえば、斜面を登ることは身体能力の向上につながります。それから、登り切ったときの達成感、うまく登れないときに困難に立ち向かう意欲も生まれます。もしかしたら、滑ってくる子もいるなかで、うまくよけながら登ろうという身のこなしや、滑ってくる相手への思いやりや責任感が生まれることもあるでしょう。
そうしたリスクとベネフィットを子どもだけでコントロールできるようになるのが理想ですが、そうした力は、遊びこむ経験を積み重ねた結果として身に付くものです。ですから、それまでは大人が声かけをしながら、リスクが高い状況にはしっかりと介入しつつ、同時に少しずつ可能な範囲で危険に向き合う体験を積み重ねられるようにするのが、大人の役割になるのではないかと思います」(嶋村さん)
嶋村さんが長年関わってきた冒険遊び場(プレーパーク)では、「リスク・ベネフィット・マネジメント」といって、子どもが身の丈に合った危険に挑戦することで子どもが自ら学ぶ機会を残しながら、いかに不用意な事故を減らすかということ大切にしているそうです。
自分の力に見合った危ないことにも挑戦してリスクリテラシーが身に付く
こうしたシーンでは、親のリスクリテラシーも大切です。アンケートでは、「危険なことをしているのに、注意しない親にモヤッとする」という声もかなり多く寄せられました。「最近では、子ども時代に遊んだ経験が少なく、何が危険なのかが分からない大人も増えてきています。ですから、本当に危険な場面でも、注意するべき事態に単純に気づいていなかったということもあるように思います。その意味では、注意が必要な場面に出会ったら、自分の子どもだけではなく、他の子にも気軽に声をかけても大丈夫な大人同士の関係性のある公園は、とてもよい公園です。
ただ多くの公園では、そうした大人同士のコミュニケーションを難しいと感じている保護者の人が多いかもしれません。冒険遊び場(プレーパーク)のような遊び場では、プレイワーカー(プレーリーダー)が来ている人たちとのコミュニケーションのモデルとなって、遊びに来ている大人たちが自然に声をかけられるように変化していく姿が見られます」(嶋村さん)
子ども自身も、小さいうちからこうしたコミュニケーションの中でリスクとの付き合い方を学んでいけば、小学生になる頃にはある程度、危険を判断しながら、自分のやりたいことを実現するという感覚が養われていくでしょう。それは、自分の「からだ」を守るだけでなく、自分の「こころ」を守ることにもつながっているはずです。
「子どもにとって、遊ぶことは本能の営み。遊ぶことから得られる様々な経験を通して、自分自身を育てていくことができるんです。自分の力に見合った危ないことにも挑戦して、何が危険なのかを知り、それをコントロールできるようになって、リスクリテラシーが身に付くものです」(嶋村さん)
子どもだけでの公園遊びやお留守番は虐待? リスクに寛容な社会に
小学校3年生以下の子どもだけでの公園遊びは虐待――。そんな内容も含まれていたのが、2023年秋に提出された埼玉県虐待禁止条例改正案。結局、多くの反対を受けて取り下げられました。「埼玉県虐待禁止条例の一部を改正する条例案」に関する共同声明(*1)を出した「日本冒険遊び場づくり協会」の理事も務める嶋村さんは、虐待を防ぐことは重要であるとした上で、それを単に保護者の責任だけにするのではなく、子どもだけで外に遊びにいっても大丈夫な社会をつくることが今の日本では大切だと話します。
「子どもが単独で街を歩けるという、日本の子どもたちのインディペンデント・モビリティ(移動自由性・independent mobility)は、世界に誇れる安全な社会の象徴ですよね。子どもが遊ぶための環境という点からしても、本来、それはとても優れていることなんです」
海外では犯罪に巻き込まれるリスクが高い場所も多く、子どもが一人で歩くのが危ない国もあります。それと同時に、欧米ではホバリングするヘリコプターのように子どもを監視し、何かあればすぐに飛んできて、子どもの行動を規制する過保護な親が「ヘリコプターペアレンツ」と呼ばれ、問題になっています。
もちろん、子どもだけで遊ばせるリスクはゼロではありません。
「交通事故や犯罪などはたしかに誰にとっても心配です。その一方で、子どもの育ちのことを考えれば、何もさせないわけにもいきません。そのときに大切なのは、得られるベネフィットとのバランスです。極端な例かもしれませんが、赤ちゃんはハイハイからつかまり立ちを始めて、歩き出すまでに何度も転ぶでしょう。でも、転ぶと危ないから、歩いちゃダメとは決して言わないはずです。
それは、それ以上に歩けるようになるというベネフィットが大きいからですよね。ただ、周囲のリスクが高すぎては、転ぶこともままならないでしょう。ですから、リスクはゼロではないが、リスクを低く維持できる社会をみんなで目指しましょうよ、ということが大切だと思うのです」
イギリスでは、10年以上前から「コットンウールカルチャー(Cotton wool culture)」という、子どもを“真綿でくるむように”危険から遠ざける風潮が問題視されてきたようです。今の日本も同様、リスクを嫌う文化により、管理責任の追及を恐れて、とりあえず何でも禁止する傾向が強くなっています。
嶋村さんは、大人が子どもを育てるのが「教育」なら、子どもが自分で自分を育てるのが「遊び」だといいます。遊ぶことを通して、子ども自ら育つ力を持っています。その力が発揮できるように、子どもが豊かに遊べる環境を守っていくのが、大人の大切な役割と言えそうです。
【参考】「埼玉県虐待禁止条例の一部を改正する条例案」に関する共同声明
>>滑り台逆走の是非についてアンケート結果を見る