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留学を経て世界で活躍するオペラ歌手へ!(2ページ目)

ニューヨークのマネス音楽院を主席で卒業後、現在は世界各地でオペラの公演に飛び回っている田村麻子さんにお話を伺いました。

豊田 圭一

執筆者:豊田 圭一

留学ガイド

田村麻子さん
2004年 イタリア カリアリ歌劇場にて"ランメルモールのルチア"公演
ガイド:田村さんがオペラの世界に入ったきっかけを教えてください。

田村麻子さん:もともと幼少の頃からかなり真剣にピアノを勉強しており、ゆくゆくは国際的なピアニストになりたいと夢見ていました。しかし、高校生の頃、目指していた大学のピアノ科受験のために準備をしていた際、ある日本の音楽界の権威のような先生から、「もしピアノ科に進んだとしても、あなたの手は小さすぎるから国際的なピアニストになるのは難しいし、ちょうど手が小さくても大丈夫なチェンバロ科が出来るから、そちらを受験してはどうか」と勧められました。確かに手が小さい為に、音楽的に自由に演奏できずストレスを感じていたのは他ならぬ私でしたし、このままピアノ科に入学してから道を変えるよりも、受験前に道を変えたほうが良いような気がしてきて、チェンバロ科ではなく、小さい頃から得意だった歌の道に変更しようと、声楽科を受験することにしました。

と簡単に言ってしまえばそれまでですが、歌の道に進むことにしてからも、これでよいのか何度も何度も悩み、2~3年くらいは、ピアノと歌の間を行ったり来たりしていました。

そんな中、あるときテレビで往年のイタリア名歌手による、素晴らしいオペラ公演をテレビで観て、身体が震えるほど感動し、この道にすすみたい!(正確にはオペラが歌いたい!)と、即座に決めてしまいました。

ガイド:海外で活動しようと思ったのはなぜですか?

田村麻子さん:西洋音楽を志す身として、本場で勝負したいと思ったのがもともとのきっかけですが、実はそれが予想以上のハンディを抱えながらの大変不利な勝負だと分かった時点で、日本に戻って日本で活動しようといったん思いました。しかし、日本はオペラ公演の回数自体が少なく、また、オペラ歌手が舞台だけで食べていける十分な環境もないと気づき、例え、どんなに理不尽で屈辱的な環境であるとしても、やはりオペラ公演の回数自体の多い欧米にて、オペラに身をやつして生きていきたいと新たに思い直しました。それからは、真剣に、どうすればオペラ歌手としてサバイブできるのか、を試行錯誤しつつ進んできており、そうして今に至ります。

今でも、その戦略を練りつつの、毎日ですが…(笑)

ガイド:現在は海外での活動が多いですが、留学したことが一つの転機になったのですか?

田村麻子さん:もともと私は、海外で通用する演奏家になりたいと強い覚悟で留学を始めたため、留学が目的というよりは、キャリアを得るための出発点として捉えていました。ですので、ある程度のキャリアが出来るまでは何年かかっても滞在し続けて、納得いくまで挑戦し、日本には戻らないと決めていました。がむしゃらに頑張ったおかげで、ここ数年で、自分のキャリアにある程度満足できるようになった為、最近は日本でもオファーがあれば仕事をするようになってきています。

では、次のページでは、留学中のエピソードや今後の目標についてお聞きします。
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