やむを得ず同居へ
闘病が一段落した母は、もといた借家に戻ったが、ときどき具合が悪くなって自分で救急車を呼んでいた。「そのまま見守ることもできたんですが、借家が立ち退きを迫られたんです。引っ越し費用とプラスアルファを出すし、半年以上猶予するからなんとか立ち退いてほしいと丁寧に頼まれてしまって。私も仕事が忙しいし、母の居場所を探すこともできなかった。結局、2LDKの私の部屋に住まわせるしかありませんでした」
カエデさんが住む賃貸住宅は、会社から家賃補助が出ている。会社に母を住まわせる承諾をもらい、母を被扶養者とした。
「突き放すこともできたんですが、その時点での母は病気で痩せていたし、妙に気弱になっていて『もういいよ、私のことは』なんて言い出していたので、見捨てられなかった」
コロナ禍に同居を始めて3年あまり。母はすっかり調子がよくなったが、それとともに「結婚しない娘がいてよかった」「私を被扶養者にできて得したでしょ」などとカエデさんを苛立たせる発言を繰り返している。
「母はほとんど料理もしない。まだ72歳なのにやる気がないというか、どこか女王様気質なのか、私が世話を焼くものだと思い込んでいる。あまりに適当なものを食べているから、見るに見かねて週末に作り置きもしています。ときどき、どうして私がここまでめんどうを見なければいけないのかと思う。一緒にいるとイライラするので、なるべく顔を合わせないようにしていたんです」
ある日、帰宅するとカエデさんの部屋にあった美顔器を、母が使っていた。私の部屋に入ったの?と言ったら「別に荒らしてはいないわよ」と言う。
「そういう意味じゃない。人の部屋に入るなんてプライバシーの侵害も甚だしいと言ったら、『いいじゃない、別に。親子でしょ』って。最悪です。私はブチ切れて、『そういうのが一番嫌なの。同居なんかしなければよかった』と大声を上げました。すると母は『わかったわかった、もう二度と入らないわよ。それでいいんでしょ』と。一言謝れないのかと言うと、悪いことはしていないと一点張り。やっぱり同居は無理かもねと言うと、さめざめと泣き出して『死ねってことね』と開き直る」
高齢者施設に入れたいとも思うが、現状、病気もよくなって日常生活にまったく支障はないので施設に入れることもできない。そもそも本人も納得しないだろう。
「私は極力、家で食事をとらずに遅く帰ることにしています。スポーツジムでお風呂にも入って、家では寝るだけ。週末はせっせと作り置きをして母とはほとんど会話しない。そんな同居って意味があるのかなと思うようになってきました。お互いに楽しくもない。でも口を開けばケンカになる。兄にそれとなく連絡したけど、彼は事実婚のパートナーとの間に子どももいて毎日が忙しいから、母のことは任せるよって」
私も遠方に結婚相手を見つけてどこかへ行ってしまいたい。ときとしてそう思うが、仕事を続けたいから現実的ではない。様子を見ながら別々に住む道を探っていくのが一番現実的かもしれないと、カエデさんは少し疲れた表情でつぶやいた。