非常時に必ず役立つ! 自分が使っている薬の名前を覚えておく重要性
自分が飲んでいる薬の名前は覚えるべきか
しかし、普段はあまり意識しないかもしれませんが、自分が使っている薬のことをきちんと理解して、少なくとも「薬の名前を覚えている」ことは、いざというときに役立ちます。
2011年3月に発生した東日本大震災の被災地には、全国から水や食料品、生活用品などの救援物資とともに、たくさんの医薬品が届けられました。そして、支援のために駆けつけた医師が、糖尿病や高血圧症などの持病をかかえて薬を必要とする患者さんに配ろうとしました。そのとき、避難する際にたまたま「お薬手帳」を持っていた方がいて、手帳に記された記録から、処方箋なしで今までと同じ薬を受け取ることができました。しかし、急な災害時に意識して「お薬手帳」を持って避難することはなかなかできませんから、当然のように、多くの方が「お薬手帳」をもっていませんでした。しかも大部分の方は、自分がどんな薬をもらっていたかさえ知らなかったのです。同じ病気に対する薬でも、それぞれに特徴があり、それぞれの患者さんの体質に合うものを選んで使用しなければならないのですが、被災地では地元の病院や薬局も被害を受けてカルテや処方箋の確認もできない状態でしたから、万事休すとなってしまいました。
自分が使ってきた薬のことをきちんと理解して説明できるようにしておけば、結果は違ったのではないでしょうか。病院や薬局で新しい薬をもらった時や、持病をかかえており同じ薬をいつも必要とする人は、やはり、少なくともその薬の名前くらいは覚えておくべきでしょう。
薬の名前を覚えるのはなぜ難しいのか…薬学部の学生は500個以上を記憶
覚えておいた方がよいと言われても、薬の名前はカタカナだらけで覚えづらいですよね。一体どうすれば覚えやすくなるのでしょうか。ちなみに、筆者は大学の薬学部で、医薬品の作用メカニズムを扱う「薬理学」という科目を中心に教えています。6年制薬学部を卒業した学生は、薬剤師国家試験を受けて合格すれば、薬剤師の資格を得て働くことができます。薬剤師国家試験には毎回200~300個の薬の名前が出題されますから、少なくとも500個以上は覚えておきたいものです。そして、入学したての1年生にこのことを話すと、多くの学生たちは顔を曇らせてしまいます。
しかし、ご心配なく。筆者が担当する薬理学の本格的な授業は2年次から始まるのですが、それに先立って早めに伝えておいた方がよいと考え、入学して間もなくの1年生たちを対象に「医薬品名のなりたち」という特別講義を行い、どうやって薬の名前を覚えたらいいのか、そのノウハウもきちんと教えています。
薬の専門家をめざしているわけでない読者の多くの方にとっては、そんなにたくさんの薬の名前を知っていることに意味はないかもしれませんが、せめて自分が飲んでいる薬のことを把握しておくためにも役立つと思いますので、筆者が薬学生に伝授しているコツをお話ししておきましょう。
家族、同僚、著名人など、たくさんの「人名」を記憶できるのはなぜか
ところで皆さんは、何人くらいの人の名前を覚えていますか。家族、親戚、友人、近所の人、職場の上司や同僚、学校の先生や同級生、病院の医師や看護師、スポーツ選手や芸能人、歴史上の人物など、丁寧に数え上げてみると、軽く100は超えるのではないでしょうか。つまり、人の名前であれば、誰でもそれくらいは覚えられるのです。同じ名前なのに、人物だとたくさん覚えられるけど、薬だと覚えられない。何だか不思議ですね。でも、よく考えてみると、薬の名前も、人名と同じように扱えば、それほど苦労せずに覚えられるということではないでしょうか。
丸暗記は覚え間違いの原因! 語呂合わせはもっとナンセンス
「暗記」というと、ひたすら丸暗記するか、語呂合わせで覚えようとする方が多いのではないでしょうか。丸暗記が得意な方はそれでもいいでしょうが、丸暗記の場合には、注意しなければならない点があります。とくに薬の名前は、馴染みのないカタカナの並びですから、読み間違えが発生しやすいです。そして、その間違いに気づかずそのまま丸暗記してしまうと、一生間違った名前が頭に残ることになってしまいます。後で誰かに「間違っているよ」と指摘されて、恥をかくことになるかもしれません。
また、薬学関係の予備校や一部のインターネットサイトなどでは、薬の名前をより簡単に覚えられる方法として語呂合わせを勧めているところが多いようですが、筆者はお勧めしません。ナンセンスなので、絶対にやめたほうがいいです。
よく考えてみてください。あなたは、家族や友達の名前を語呂合わせで覚えていますか。そんなことしている人はいないはずです。なぜかというと、名前の響きから一定のイメージが湧きますし、漢字を見るとその意味が何となく汲み取れるからですね。語呂合わせは、意味のない数字や文字の羅列に、イメージしやすい意味をもたせるのには効果的なので、歴史の年号や電話番号、パスワードなどを暗記するのに活用するのはよいと思います。しかし、人名はそういうものではなく、もともと意味があります。その意味を理解しないで、わざわざ語呂合わせを作るのはナンセンスです。また、私たちが頭に刻み込める情報の容量には限りがあるのに、その貴重なスペースを「語呂合わせを覚える」という余計な作業に費やしてしまうのは勿体ありません。おまけに、「覚えたはずの語呂を思い出せない」という最悪のケースも考えられます。どうみても、得策ではありません。
薬の名前の覚え方…すべての薬に名付け親がいて、名前には必ず意味がある
薬の名前は、カタカナだらけなので、意味がないと勘違いしている方が多いことでしょう。しかし、よく考えてみると、名前ですから、必ず名付け親がいます。あなたのご両親が「こんな子供に育ってほしい」といった願いを込めてあなたに名前をつけてくれたように、一つ一つの薬も、名付け親(多くの場合、製薬メーカーの担当者)がそれなりの理由をもって名付けたはずです。それさえ分かれば、ちゃんと名前のイメージが湧きますので、語呂合わせなんか必要ないのです。しかし、一般の方や学生たちが、医薬品の名前の意味を知るのは難しいと思います。そういった資料がないからです。筆者はできるだけ学生を助けようと思い、自分の知っている薬名の由来を授業中に話してきましたが、授業時間は限られているので限界がありました。そこでいつしか筆者は、「日本で使われているすべての薬の名前の語源をまとめた事典を作ろう」と思うようになりました。しかし、そのエビデンスとなる資料はなかなか手に入らず、実現するには長い時間を要しました。そして、数年がかりで毎日執筆と編さんを重ねて完成させたのが、『薬名[語源]事典』(武蔵野大学出版会)です。760ページもある電話帳のような分厚い事典ですが、世界でたった一冊しかない「すべての医薬品の一般名の語源事典」です。さっそく大学の授業で副教材として活用したところ、学生たちは「薬の名前の意味を調べて覚えるのが楽しくなった」と喜んでくれました。
あなたが使っている薬の名前を覚えたいと思ったときに、索引でその名前を見つけて該当ページを開くと、そこには、知りたい薬の名前の意味がすべて解説されています。その意味を知ったとき、無味乾燥だったカタカナだらけの文字列が、まるで人の名前のような鮮明なイメージをもって見えるようになるはずです。是非多くの方に活用してもらえたらと思います。
人となりを深く知った人の名前は忘れない! 「エピソード学習」の効用
人名は覚えやすい方ですが、それでも時々「あの人誰だっけ?」と名前を思い出せなくなることがありますよね。絶対忘れない人の名前と、思い出せなくなってしまう人の名前は、何が違うのでしょうか。家族や親友の名前は、さすがに忘れませんよね。実は、その人が歩んできた人生の出来事や、その人の性格や特徴などをよく理解し、またその人に対する好き嫌いとか、一緒に過ごしたときの感情を含む思い出の記憶があるはずです。つまり、そのような人の名前は、自分の体験した出来事の一部として記憶されているのです。
一方、歴史上の人物として覚えなさいと言われて覚えただけで、詳しいことも知らないし、とくに興味がない場合には、覚えたはずなのに思い出せないということが多いのではないでしょうか。このような場合は、自分とは直接関係ないものとして記憶されているのです。
「エピソード記憶と意味記憶の違い・具体例…効果的な暗記に役立つ方法も」で解説したように、自分が体験した出来事に関する「エピソード記憶」は、感情を伴っている点で印象深いので、覚えやすく、かつ思い出しやすい性質がありますが、自分とは直接関係なく、ただ丸暗記しただけの「意味記憶」は、覚えたつもりでも頭に残りにくく、覚えたとしても思い出しにくいという性質があります。これに照らし合わせると、親しい家族や友人の名前は「エピソード記憶」として覚えているので、忘れず思い出しやすく、一方自分に直接関係ない人の名前は「意味記憶」なので、度忘れしやすいというわけです。
薬の名前も同じです。ただ事典を見て、名前の由来を知って覚えようとするだけでは不十分です。あなたが手にした一粒の薬は、決して「あって当たり前」ではなく、世界中の研究者のたゆまぬ努力と創意工夫によって奇跡的に見出されたものであることを知ると、印象がかなり変わると思います。そしてそうした奇跡の薬によって自分の命が救われているのだと言うことを感じることができれば、その薬の名前が、自分の家族や親友の名前のように感じられ、「エピソード記憶」としてあなたの脳に刻み込まれることでしょう。これが「エピソード学習」です。
多くの方が、「すべての薬の名前には意味がある」ということを意識して、少なくとも自分や家族が使っている薬の名前を覚えておいていただけることを期待します。