見えないけれど「在る」におい
「におい」は不思議な存在です。「声はすれども姿は見えず、ほんにお前は屁のような」という七七七五調の名文句がありますが、目に見えないけど確かに在る「におい」。
素敵な人の残り香なんていうものは、とりわけ魅力的に感じたりしますが、一方、生理的に耐え難い苦痛をもたらすにおいというものもあります。ないと困る、でもありすぎても困る。「におい」は一筋縄でいかない存在です。
そもそも「におい」というのは、
空気中に浮遊する微量な化学物質をヒトの嗅覚細胞が検出して初めて、においであると認識される
ものだそう(「におい―基礎知識と不快対策・香りの活用― 」/楢崎 正也・オーム社)。
そして「においがする」ということは、空気中ににおい分子が浮遊しているということ。この20~40万種ともいわれるにおい物質のうち、ヒトが嗅ぎ分けられるのは約1万種。またその嗅ぎ分けに割かれる遺伝子上の割合は1%にも上ることから、においへの感覚、嗅覚がもともとヒトの生存維持にかかわる重要度の高いものだったことがうかがえます。
実際のところ不愉快なにおいというのは、毒ガス、腐敗の際などに発生し、時として命に関わる危険をもたらしますし、衛生状態の悪さと悪臭というのも概ねリンクしています。私たちの祖先はにおいに対して敏感であることによって危機を察知、長くその身を助けてきたのでしょう。そうして私たち自身もその能力を受け継いで生活しています。
よい「におい」が健康を侵す?
ところが近年、その「におい」による新たな側面からの問題がクローズアップされています。
その香り 困っている人がいるかも?(2021年、消費者庁ほか)
難しいのは、その害をもたらす香り、においが、不衛生さや致し方ない体臭等がもたらす「におい」ではないということです。
ここで「香害」と取りざたされるにおいは、主にあえて「良かれ」と使用される洗濯時の柔軟剤等の香料によるもので、使用側の動機には他人を害するつもりなどはおよそ無い、つまり無自覚的なハラスメントとなってしまっています。
もともと洗濯は汚れた衣服等が「におう」ことを防ぐ目的もあって行われます。衣類の繊維に入り込んだ汚れと細菌の代謝がもたらす、不衛生な衣類のにおいというのも決して軽視できるものではなく、洗濯という行為自体には問題はありません。また洗剤に含まれる香料というものもありますが、これは濯ぎのプロセスで概ね流されるため残留分は決して多くないものです。
柔軟剤は私たちの衣類に合成繊維が増えてくるに連れて一般化しました。着用の際の衣類のすべりを良くしたり、静電気防止効果をもたらすなど、ある程度「残留させる」ことによる効用を目的として使用されることが多いもので、つまるところそこが問題となります。
加えて、近年では、かつては海外製品に多かった強い香りを意図して衣類に残す営みの流行がありました。「良いにおい」をまとうことで、衣類に残ってしまった洗濯臭、場合によっては体臭を、つきつめれば生活臭をマスキングしたい、という、あまり表立てたくないニーズに合致したものだと思われます。
しかしその「良いにおい」だったはずのものが、他人に吐くほどの気持ち悪さ、頭痛など強い症状を及ぼしてしまう。それほどのにおいを発している。
とはいえ発している側に、おおよそ悪気や自覚はありません。あるいは自分で自分の衣類を洗濯していない人では、柔軟剤という、においの発生源にすら思い至らないこともあるかも知れません。
柔軟剤の主成分である陽イオン界面活性剤には、殺菌作用、またウイルス不活化作用もあることが、近年の衛生に対しての意識の高まりに合致、注目されています。また香料によっては衣類の防虫効果を持たせることが期待されるなど、あえての残留ということがより意識的になされている側面も無視できません。
新しい他人との距離と「におい」
ところで私たちはここ数年、外出時には他人との間の距離をとり、かつマスクをして生活をしてきました。不織布マスクはウイルスを通してしまう程度の孔ですから、ウイルスのさらに100分の1ほどの大きさとみられるにおい分子を濾しとる効果などもないものの、マスクの内側にこもる私たち自身の呼気などによって、自分以外のにおいに対してあまり敏感でなくなるという効用はあったのだと思われます。
ただ今後、マスクを取って生活することになり、直接に他人のまとうにおいに対峙することになったとき。これまで他人の柔軟剤の香りなどに、あまり反応しなかったような人でも、改めて強いにおいを感じることになるといった可能性は決して低くないのではないでしょうか。
よい香りでマスキングしたいものは体臭や生活臭だったはずなのに、そのにおいが結局過剰な悪臭となっているのだとしたら、本末転倒です。
その衣類に本当に柔軟剤は必要か、量は適切か。
習慣化、自動化するとなにも考えなくなりがちな家事の当たり前のプロセスを、今一度振り返ってみるタイミングが今なのではないでしょうか。