神田さんといえば、一般的にはディズニー映画『アナと雪の女王』(吹き替え版)アナ役のイメージが強いかもしれませんが、舞台ファンや業界人にとっての彼女は、まぎれもなく“ミュージカル・スター”。15年間の舞台キャリアのなかで様々な作品に出演、多彩な当たり役を生み出してきた、唯一無二の存在です。
彼女の何が特別で、“スター”たらしめたのか。ここでは主に近年の出演作を通して、ミュージカルにおける神田沙也加さんの魅力を振り返ります。
“本物志向”の作品選び
神田さんが2012年と2014年に主演したのが、ミュージカル座の舞台『ひめゆり』。第二次世界大戦末期の沖縄で起こったひめゆり学徒隊の史実をもとに描かれた名作です。2004年に『INTO THE WOODS』赤ずきんちゃん役で鮮烈なミュージカルデビューを飾り、2009年には『レ・ミゼラブル』コゼット役でミュージカル俳優たちの夢の場所である帝国劇場デビューも果たしていた彼女としては、大劇場への出演にこだわったキャリアづくりもできたはず。しかし神田さんが選んだのは、規模としては小ぶりながら意欲的なオリジナル・ミュージカルを次々と発表してきた劇団、ミュージカル座の代表作への出演でした。
米軍の爆撃に怯え、次々と仲間が死んでゆくのを目の当たりにしながら奇跡的に生き延びる主人公キミが、万感の思いをこめて歌う「生きている」での透き通った歌声は、今も多くの観客の耳に残っていることでしょう。
後年、神田さんご自身にうかがったところ、彼女は20歳ごろから事務所と“規模や役の大小で作品選びはしない”と決めていたそう。あくまでその作品のクオリティ、そしてそこに参加することでどう自身の幅が広がるかにこだわり、じっくりと“本物の役者”を目指していたことがうかがえます。
>2017年、神田沙也加さんにインタビュー
脇役で見せた“きらりと光る演技”
作品を俯瞰でとらえながら自分の役回りを察し、いかに物語に貢献し、自分も輝くか。芝居の脇役には主役とはまた異なる難しさがあり、それがこなせてこそ“いい役者”だともいわれますが、そうした役どころできらりと光るものを見せたのが神田さんでした。2009年から2017年まで、4回にわたって演じた『ピーターパン』のウェンディ役では、冒険の後のエピローグで“大人になってしまった悲しみ”を全身に滲ませ、作品に余韻をプラス。2015年に出演した『ダンス オブ ヴァンパイア』では閉鎖的な村の暮らしに飽き、伯爵からの誘いに乗ってしまう娘サラの好奇心と危うさをリアルに描き出しました。 また細やかな演技が光ったのが、2017年の『屋根の上のヴァイオリン弾き』。ユダヤ人の主人公テヴィエの5人の娘の一人ホーデルとして常に手先を動かし、家事をする姿はごく自然に映り、そうしなければ立ちゆかない一家の経済状態と団結ぶりを印象づけます。また恋人を追ってシベリアに旅立つ際、父に向って歌う「愛する我が家を離れて」では、一音もおろそかにしない丁寧な歌唱に、もう二度と会えないかもしれない父への思いが溢れ、作品に確かなペーソスを加えました。
次代を担う“コメディエンヌ”の誕生
神田さんがそれまで蓄積してきたものが一気に花開き、第43回菊田一夫演劇賞受賞対象となるなど、ミュージカル界で唯一無二の存在として認められるきっかけとなったのが、2017年のミュージカル・コメディ『キューティ・ブロンド』。同名のハリウッド映画の舞台化作品で、“ブロンドはおバカに見える”と偏見に満ちた理由で彼氏に振られ、奮起するお洒落な主人公エルを、溌剌と演じました。ピンクを主体とした衣裳の着こなしも完璧でしたが、特に評価されたのが“コメディエンヌとしての可能性”です。台詞にしても身のこなしにしても、絶妙な間合いや軽やかさが求められ、悲劇的な演技よりむしろ難しいといわれるコメディ。そこに更に歌やダンスが加わった“ミュージカル・コメディ”を得意とするスターはそう多くありませんが、このジャンルの第一人者である大地真央さんに少女時代から憧れ、“(芸能界における)ママ”と慕ってきた神田さんは、大地さんの演技を観ながらコメディ・センスを吸収、こつこつと磨き上げてきたのかもしれません。大入りとなった『キューティ・ブロンド』は19年に再演。本作を起点に、今後様々なミュージカル・コメディを担ってゆくであろう存在として、神田さんは大いに嘱望されました(※1)。
“少女漫画のヒロイン”を生き生きと3次元化
『キューティ・ブロンド』と並んで絶品だったのが、名作少女漫画を舞台化した『王家の紋章』(2021年)のヒロイン役です。考古学好きの少女キャロルは、古代エジプトの墓発掘に関わるうちタイムスリップ。少年王メンフィスと少しずつ心通わせてゆくが、ライバル国の王子にも愛されてしまい……。大胆、かつジェットコースター的な物語のなかで、神田さんは持ち前の集中力を発揮し、キャロルの心の変化を克明に表現。ただし“胸キュン”のシーンは観客が“キュン”しやすいよう、リアリズムを抑えて若干大きな芝居をするなど、2次元である少女漫画の3次元化を心得えたメリハリある演技で、観客の“乙女心”を最大限に刺激しました(※2)。
確かなテクニックと安定感
可憐な容姿やハリのある声、といった生来の魅力を備えた神田さんですが、持って生まれたものだけで立ち続けることはできないのが舞台の厳しいところ。彼女について高く評価されているのは、そのキャリアの中で少しずつ確かなものとしてきたのであろう、台詞や歌唱のテクニックと安定感です。例えば『マイ・フェア・レディ』(2017年、2021年)内のナンバー「だったらいいな」での、“あたたかいへやで チョコレートをたべる そんなくらしができたらいいな”というフレーズを、神田さんは真珠のように言葉を粒だたせつつ、音には浮き浮きと跳ねるようなニュアンスを含ませながら歌唱。台詞・歌詞の別なく、常に明瞭で聴き取りやすい言葉を意識し、楽譜上の一音一音を大切に発していました。作者や作家への敬意、作品への愛情がみながる彼女の表現は、観客のみならず共演者やスタッフ、クリエイターたちからも“作品を託せる人”として揺るぎない信頼を得ていたことでしょう。 舞台上の神田さんについてではありませんが、筆者にはひとつ、忘れられない思い出があります。
2017年、『屋根の上のヴァイオリン弾き』上演を前に、神田さんにインタビューした時のこと。お話を聞きながら「なんて綺麗で大きな目をした方だろう」と思ったのですが、それは実際の目の造型もさることながら、彼女がその数十分の間、ちらとも視線を外すことなく真剣にこちらを見つめ、語り続けたことに起因します。どんな質問も引き受け、自分の思いを正確に伝えようとする、意志に満ちたまなざしでした。大切な舞台に関わる取材を良いものにしたい、そんな作品愛、ミュージカル愛も感じられました。
ミュージカル界における神田沙也加さんの喪失の大きさは計り知れません。
しかし彼女が全身全霊を捧げて創り上げた諸役が多くの人々の心を揺さぶり、夢見心地にし、大いに楽しませてきたこともまた事実です。
悲しみの淵にあっても、それらの残像を記憶の中で永遠化し、語り継ぎ、神田さんの分もミュージカルを愛してゆく……。それが私たちにできることなのかもしれません。
【参考】
※1:大地真央さんとは2021年にもストレート・プレイ『ローズのジレンマ』で共演(観劇レポート)
※2:名作少女漫画を舞台化し話題を呼んだ『王家の紋章』でヒロイン役を熱演(観劇レポート)