コロナパニックで教育はどう変わった?
緊急事態宣言で全国一斉に休校となった2020年春、海外に子弟を留学させている私の知人の富裕層に話を聞くと、いち早くオンライン授業に舵を切り、試行錯誤しつつもかなり満足度の高い教育内容になってきていると言っていました。むろん学校や教師によって違いはあるものの、先生たちは総じて生徒一人一人に対してきめ細かくフォローしようという姿勢であるとのことです。
日本でも一部の私立校などの対応は早かったですが、特に公立校では「方針や方向性が出ていないから」「教育委員会がセキュリティのハードルを上げている」「設備や環境が整っていない家庭もあるから不公平になる」などという理由で、宿題を出すだけの学校が多かったようです。
そこで私の知人の何人かは、早々に学校に見切りをつけ、民間のタブレット通信教育に切り替えたそうです。小学生ぐらいのお子さんだと、どうしても生活リズムが乱れやすいらしく、親が先導する必要があるようです。
時間を決めて親は自分の仕事をして、子どもはその横でドリルを解いたり、タブレット講義を視聴したりするなど、親子で並んで勉強するようにしたと言います。
コロナをきっかけに自宅でタブレットを使って学習する子どもたち
別の親子は、親子で漢字検定の受験を目指しており、級は違っても同じ目標を設定して、一緒に勉強をしているということでした。
また、私立の中高一貫校に通っていたけれども、その学校の対応にがっかりして、ドワンゴが運営するN高に転校したという人もいました。
あるいは、海外の大学に進学を希望する高校生の娘さんを持つ経営者夫妻の話では、せっかくのまとまった膨大な時間を利用して、部屋でじっくり英書を読んだり、リスニングをしたりするなど、好きな英語に没頭しているそうです。
コロナ禍であっても自ら学び続ける
そこからわかることがあります。コロナの時代でも、あるいは学校の対応が遅くても、富裕層(に限らず子どもの教育に関心のある層、目的意識の明確な学生)は、学校や先生に依存せず、自ら工夫し、自己責任による判断で教育・学習を止めない姿勢を持っているということです。ちなみにわが家の場合、二人の息子はまだ未就学児なので、机上の勉強よりもリアルな体験を重視しています。そのため家の中に閉じこもるのではなく、毎週のようにアスレチックや釣りといった、自然の中での遊びを取り入れています。
屋外での遊びを中心にすれば、感染リスクは低いし、仮に感染しても子どもは重症化するリスクも低い。子どもにとって五感を刺激される原体験は、あと伸びするための重要な学びの一つです。リスクとリターンのバランスを考慮すれば、引きこもって子どもの経験を止めるほうが、むしろマイナスだと思います。
つまり幼少期の遊びは不要不急などではなく必要だし、この年齢だからこそむしろ重要という判断で活動させています。
これを批判する人もいるかもしれませんが、それはリスクにしか目が向いておらず、その反対側で、一体どういう損失や機会の逸失があるかを、考えられていないのではないでしょうか。
富裕層の興味関心はどこへ?
そしてもう一つ、今後は教育コンテンツの質的変化が起こると思います。オンライン化が進めば、学校という場には「そこに生身の人間同士が集まるからこそ意味がある授業」だけが残るはずです。むろん多感な十代にとって、授業だけが学校の意義ではありませんが、オンライン時代に進化・適応しない学校は見捨てられていくでしょう。
たとえば「先生が一方的にしゃべって、生徒は聞くだけ」という無味乾燥な授業は、オンラインや動画教材に代わります。動画の方が倍速再生して時短学習したり、わからないところを繰り返し視聴できたりするなど、むしろメリットかもしれません。
重いテキストを毎日運ぶ必要もなくなりますし、ドリルやミニテストもタブレットの中に入れば、たとえば苦手な問題だけが繰り返し出題されるなど、個々の進度や理解度に合わせた復習が可能となります。
タブレットなら先生も学習状況が把握できますし、プリントの配布やテストの採点といった事務負担も軽減されるため、生徒一人一人によりきめ細かなフォローができます。
その先端を走っている学校の一つが、世界最難関大学といわれるミネルバ大学であり、日本ではN高やN中です。
かつての人気はボーディングスクールだったかもしれませんが(もちろん今でも世界の富裕層からは人気ですが)、なぜ校舎すら持たないミネルバ大学が最難関と呼ばれるほど注目を集めているのか、これからの高等教育のベンチマークになるのではないでしょうか。
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