小江戸川越を象徴する川越大師・喜多院(きたいん)
小江戸の別称をもつ川越市には、蔵づくりの街並みを中心に歴史を感じる景観があふれています。市内に点在する寺院や神社には、長い時間を過ごした伝統を漂わせています。中でも川越大師・喜多院は、小江戸を代表するスポットと言うことができます。約1200年の歴史を刻む喜多院
喜多院の起源は、平安時代の初期830年に遡ります。当時の淳和天皇(じゅんなてんのう)の命によって、慈覚大師 円仁(じかくだいし えんにん)が無量寿寺を建立したことに始まります。阿弥陀如来を本尊として不動明王、毘沙門天などが祀られた無量寿寺は、伏見天皇の時代1296年に、尊海僧正によって関東天台宗の本山とされました。江戸時代には1638年1月に川越大火に見舞われ、現存の山門を除き堂宇は全て焼失してしまいました。その直後、江戸幕府第3代将軍の徳川家光公は堀田加賀守正盛に命じてすぐに復興にかかり、江戸城紅葉山の別殿を移築し、客殿、書院を再興したのです。今も喜多院に残る家光誕生の間、春日局化粧の間は小江戸を再現する空間となっています。
本堂の慈恵堂を中心にバランスよく立ち並ぶ数々の伽藍
本堂の慈恵堂は、川越大火の翌年の1639年10月に、焼失後いち早く再建されました。大師堂として親しまれ、潮音殿と呼ばれることもあります。裄行(たけゆき)9間、梁間(はりま)6間の入母屋造りの建物に銅版葺きの屋根が施されています。中央には比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師、左右に不動明王を祀り毎日、不動護摩供を行っています。堂内には1300年に作られた銅鐘があり、 年に一度だけ除夜の鐘の音を市内に響き渡らせます。 慈恵堂を中心とする境内には数々の伽藍が、バランスよく並びます。 北には、多宝塔が優雅な姿を見せています。高さ13メートル、方三間の多宝塔で本瓦葺、上層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根の構造で、江戸時代初期の特徴を今に伝えています。 境内の東の鐘楼門からは厳かな空気が流れ出します。裄行3間、梁間2間、入母屋造りに本瓦葺の屋根をかぶっています。1階には袴腰(はかまごし)と呼ばれる囲いがあり、2階の前面には竜、背面には鷹の彫刻が施され、階上には大きな梵鐘が吊るされています。 鐘楼門の西の小高い岡の上に建つのは慈眼堂です。1645年に徳川家光公の命によって建てられた御堂には、厨子に入った慈眼大師天海の木像が安置されています。裄行3間、梁間3間の小ぢんまりした伽藍は、屋根が中央から四方の隅へ流れる宝行造りの様式をもち、屋根は本瓦葺きとなっています。 山門の北西に並び立つ五百羅漢も見逃せないエリアです。中央の高座の大仏に釈迦如来、脇侍の文殊、普腎の両菩薩をはじめ、538体の羅漢がぎっしりと並び、日本三大羅漢の一つに数えられています。笑ったり、泣いたり、怒ったりの様々な表情をもつ羅漢を見ていると飽きることはありません。 そして、慈恵堂の北西に客殿と書院が並び立ちます。客殿には家光誕生の間、書院には家光の乳母の春日局化粧の間が、江戸城から移築されています。客殿に設けられた庭園には、家光手植えの桜が今でも元気に育っています。御朱印、お守り、開運だるま……喜多院のご利益と種類豊富なグッズ
喜多院では毎日、不動護摩供を行い、参拝すれば厄除けのご利益があると評判になっています。他にも開運、家内安全、商売繁盛のご利益も期待されるようです。慈恵堂の中では、様々なグッズが販売されています。 御朱印には厄除の大きな文字が記されています。お守りの種類も豊富です。 ユニークなデザインのお札にも目を引かれます。
境内の売店で売られている開運だるまを自宅の棚に置けば、運に恵まれそうです。
人気のイベントや長く語り継がれる喜多院七不思議
毎日、数多くの参詣者が訪れる喜多院ですが、最も多くの人がつめ寄せるのは、だるま市の開催日です。毎年、厄除元三大師の縁日にあたる正月3日に行われています。当日の境内は開運だるまだらけとなります。他にも毎年10月には、第九の夕べ in 喜多院のコンサートが開かれており、2018年で13回を数えます。また、約1200年の長い歴史を刻んできた喜多院には、喜多院七不思議が語り継がれています。慈恵堂にかかる潮音殿の額から潮が満ち引きするような音が聞こえるとか、橋を渡って喜多院の境内に逃げ込んだ泥棒が、改心して善人になったと伝わるどろぼう橋など、様々な伝承話が伝わっています。
アクセスや駐車場など基本情報
■喜多院住所:埼玉県川越市小仙波町1-20-1
TEL:049-222-0859
アクセス: <電車>東武東上線・JR線川越駅より徒歩約20分、東武東上線川越市駅より徒歩約18分、西武新宿線本川越駅より徒歩約15分;<車>関越自動車道川越ICより約20分、圏央道川島ICより約19分
駐車場:133台
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