西郷どんも歩いた品川宿から江戸城への道
散歩の楽しみのひとつに昔の人のスケール感そのままに移動できるというものがある。昔の人の移動は徒歩だ。その感覚を味わえるのは素晴らしいことだ。というわけで、かつての東海道のひとつ目の宿場町であった、品川から散歩をスタートした。第一京浜、一国(いちこく)と呼ばれる国道15号
山手線、京浜東北線の新駅を建設中だ。
「提灯(ちょうちん)飛ばしのガード」と呼ばれているガードがある。タクシーの屋根についているのが提燈を飛ばすほど低いガードだ。正式名所は高輪橋架道橋。
この高輪橋架道橋からすぐの場所に高輪大木戸跡がある。かつて、江戸の入り口には大きな木戸があった。その痕跡が残っているのはここだけだ。
当時の東海道の道幅は約10m。道の左右にこの石垣が置かれ、その真ん中に木戸があったそうだ。ただ、西郷さんがここを通ったころすでに木戸はなく、いまと同じような景色だったようだ。今残っている石垣は海側の物だそうだ。
三田へ抜けた三菱自動車工場本社ビルの前に「江戸開城 西郷南洲 勝海舟 會見之地 西郷吉之助書」という石碑がある。會は会の旧字。
かつてこの場所に薩摩蔵屋敷があった。船で物資を運び入れるため、海に面していた場所に蔵屋敷がつくられたのだ。ここで東征大総督府下参謀という立場の西郷隆盛と旧幕府徳川家陸軍総裁という立場の勝海舟が会談を行った。
近くにあった薩摩藩三田屋敷は前年、幕府側によって焼き討ちされて使えなかったので、会談場所はこちらになったのだろう。この会談により、江戸城が無血開城されることが決まった。
西郷南洲の南洲とは西郷隆盛の号だ。別名とでもいえばいいだろうか。そして、ここにある「西郷吉之助書」について。吉之助というのは、西郷隆盛の通称なのだが、この書は、孫で同名の西郷吉之助の書なのだそうだ。いろいろとややこしい。
会見の地近くのNEC本社の敷地にもこんな石碑がある。
NECの敷地全体が薩摩三田屋敷かと思ったら、そうではないようだ。今の北の一角だったらしい。
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こちらにも西郷吉之助書とあるが、これも孫で参議院議員でもあった西郷吉之助の書だ。この碑ができたのは1991年。
さて、ここから東京駅方向へ歩く。増上寺の脇を通り、東京タワーを見ながら北へ。きょうのランチは鹿児島料理のお店。こちら。
西郷隆盛は豚肉が好きだったとか。豚肉の料理は残念ながら売り切れ。チキン南蛮定食をいただいた。
さつま汁という鹿児島のお味噌汁。人参やゴボウなど野菜がたっぷり。ご飯もさつま汁もおかわり自由だそうだけれど、最初から量が多いので、おかわりできなかった。それにしてもさつま汁、おいしかった。
西郷が無血開城させた江戸城、今の皇居外苑を見ながら。日本橋方向へ向かう。
東京駅から日本橋、人形町を経て、上野へ
明治維新後、西郷隆盛は2年ほど東京に住んでいた。西郷が東京にいた1872年(明治5年)に日本橋は橋の架け替えをしている。そのときはまだ木造の橋だった。その後、1911年(明治44年) 現在の石造二重アーチの日本橋が架設された。人形町方向へ歩き、日本橋小学校前に中央区教育委員会がの説明板があった。
戊辰戦争が終わり、西郷隆盛は薩摩に帰ってのんびりとした生活を送っていたが、新政府からは上京して参議になってくれと頼まれて1871年(明治4年)に上京し、ここに2年ほど住んだ。
人形町の甘酒横丁へやってきたら、「甘酒売っているんですか?」とハイテンションのM美さん。お豆腐や甘酒のお店「双葉」で甘酒を購入。
せっかく人形町まで来たので、たい焼きの御三家とも言われる有名なたい焼きでも買おうかと柳屋さん。相変わらずの行列。あ、でも、この日は暑いので、アイス最中。
アイス最中はけっこう硬め、甘さ控えめで歩きながらいただくのにちょうどいい。
こちらの散歩ではたい焼きを購入。
街道の起点、日本橋~品川 鯛焼きの散歩3 (全文) [散歩] All About
人形町から小伝馬町、秋葉原を通り過ぎて、上野公園。上野公園へ入るとすぐにこの壁泉がある。
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江戸城は無血開城されたけれど、不満に思う武士たちが上野の寛永寺に立てこもった。攻める新政府軍の指揮をとったのが長州藩の大村益次郎。その布陣図には黒門口に薩摩兵が予定されていた。西郷隆盛は大村に「薩摩を皆殺しにさせるのですか」と聞く。大村は「そうです」と答えたというエピソードもある。
西南戦争で自害をした西郷隆盛の銅像が建てられたのは1898年(明治31年)。亡くなってから21年後だ。除幕式に呼ばれた糸子夫人が夫はこんな人じゃないというのは有名なエピソードだ。
連れている犬は薩摩犬、名前は「ツン」。もちろんツンも銅像をつくるときは、この世にはいなかった。それで、同じ薩摩犬を探して、それをモデルにしたそうだ。
しかし、そこにはまた大きな間違いがあった。ツンは雌だが、モデルは雄だった。なので、銅像の犬は雄になってしまった。
というわけで、お散歩、終了。日差しも強く、けっこう疲れた。
西郷隆盛を辿る散歩ルート
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