お金持ち体質は、テレビを消し、新聞をやめる
時間を生み出すには、まず、やらなくても困らないことをやめることです。「自分では重要なことをしているんだ」と思っているだけで、実は不要だと気が付いていないこともあるかもしれません。たとえば23時くらいからのテレビのニュース。重要な情報源だからと思って観ていても、実は大して役に立っていないことがほとんどです。
というのも、主体的に集めて考えている情報ではないからです。あるニュースが報道されたとき、「んっ、どういうことだ?」と疑問に思ったとしても、次の瞬間には別のニュースが放映される。すると、そのニュースを深堀りして考えるとか、関連情報を調べたりという時間が与えられないまま、次々と新しいニュースに思考が塗り替えられていくことになります。
ここでいったんテレビを消し、スマホやパソコンを取り出して調べる、という行動ができる人は、そう多くはないでしょう。ではこれが何か自分の人生に前向きに作用するかというと、もちろんゼロとは断言できませんが、確率は相当低いのではないでしょうか。
新聞も同じで、ある記事を深堀りして調べるというより、全体を俯瞰する作業で終わりがちです。
「ふう~ん、なるほど。次は、どれどれ?」と見出しを眺めては次々とページをめくる。たまに気になった記事をじっくり読むものの、そこには事実情報しか書かれていないから、そのままでは自分の利益につながる知恵にはなりにくい。
ではいったん新聞を読むのをやめ、スマホやパソコンで調べようとする人も、やはり多くないでしょう。そして次の日にはまた新しい新聞が届き、前日のトップニュースは何だったかも覚えていないということが起こります。
こんなふうに自分の行動を振り返ってみると、習慣的に「必要だろう」「重要だろう」と思い込んでやっていることでも、実はかけた時間やかけたコストほどにはリターンがない、ということもあり得るのです。
というわけで、私はもう10年以上新聞をとっていないですし、テレビもほとんど観ません。
ネットやSNSは断捨離する
以前、ネットであるアンケートを見かけました。それは、「外出時に最も気になることランキング」というものでしたが、結果は身だしなみなどよりスマホの充電量ということでした。スマホを片時たりとも離せないスマホ依存症の人が増えているようですが、実は携帯が鳴らない、SNSやメールを見られないというほうが、考えるには絶好の環境です。考えているときに電話がかかってきたら思考が中断されますし、フェイスブックやLINEのメッセージ着信音が「ポーン」と鳴ったら、やはり気になる。しかし、完全にネットから遮断された状態であれば、本当に考えることだけに専念できる。
だから私は、こうして原稿を書くときや、コピーライティングを考えているとき、企画書を作っているときは、ネットから隔離するようにしています。これらはほとんどカフェにこもってやるのですが、スマホは音量をゼロにして気が付かないようにしています。いろいろ着信はありますが、大事な用件なら留守電が入るはずだからです。
モバイルWiFiも解約し、いつでもどこでもネットとつながるという利便性を捨て、とにかく「集中できる環境」を意識しています。
もちろん、顧客とのタイムリーな連絡が重要な営業職とか、1分1秒を争うような仕事をしている人には向かないと思いますが、集中力が求められる職種であれば、ネット断捨離は非常におすすめできる方法です。
名刺は整理せず、返信メールを送って捨てる
もらった名刺はスキャナーで読み取ってOCR機能でテキストに変換して管理する。あるいは秘書やサポートスタッフに入力してもらう。いろいろな方法があるかと思いますが、私はまったく管理しておらず、帰ったらすぐに捨ててしまいます。というのも、仕事上で必要な人は、たいてい名刺交換した直後にお礼のメールを送ります。すると相手からもメールで返事が来ますが、たいていそこには署名があるので、あとで必要になっても検索すれば出てくるからです。だからメールを送ったらすぐに捨てるのが、もっとも簡単で手間暇もかからない方法です。
ちなみに、特に仕事ではからまないけれども意気投合した人とはどうするか。その場合、住所や電話番号は不要なので、フェイスブックでつながります。フェイスブックは住所や電話番号は伏せられていることが多いのですが、プライベートな相手ならそれで十分で、逆に仕事の相手とは書類のやり取りや電話をすることがあるので、メールのほうが便利です。
挨拶の儀式(年賀状、中元歳暮、年末年始のあいさつ回り)をやめる
賛否両論あるとは思いますが、私は時候の挨拶に時間と労力をかけるのは無駄だと考えています。たとえば年末に取引先を回り、今年の感謝を伝えて社名入りカレンダーを渡す。名刺をデータベースに入れ、年賀状を印刷して出す。年始には新年の挨拶とともに、社名入りタオルを渡す。そのほか、お歳暮やお中元を贈る、というのも一般的です。もちろん格別に世話になったからとか、疎遠になっている親戚に対する礼儀とかを否定するわけではありません。しかし仕事に限って言うと、かけた時間ほどにはリターンは低いでしょう。
何も送らない、あいさつ回りも特にしないとして、ではこれを無礼だと感じるかというと、私は特にそうは思いません。それに、だからといってその人とつきあう・つきあわない、あるいは取引する・しないしないということはなく、あいさつ回りや粗品などとは無関係です。
年賀状も同じく、もはや不要と言っても良いと思います。学生時代の同級生や前職の同僚などともSNSでつながれる時代です。するとお互いの近況も知っているし、SNS上でも「あけましておめでとう」などとメールをやりとりするから、改めて年賀状を送るのが礼儀というわけでもないでしょう。仕事ではさらに「あ、来てる」程度でスルーする人のほうが多いのではないでしょうか。
もちろん、挨拶の儀式は礼儀だと考えている人(特に年配の人に多い)にはそうすればいいですし、それがたとえば営業上有利になるなどと考えられるのであれば、合理的な行動になります。
時代の変化や状況に応じて常識も変化します。「毎年やっているから」「定例だから」「伝統だから」やってきた今までの慣習を見直すこともまた、時間をつくり出す1つの発想法です。
衣類やデジタルガジェットなど、ものを減らせば時間が増えていく
たとえば自宅に衣服が多ければ、今日は何を着ていこうかなと迷いますし、衣替えに時間がかかり、クリーニングに出す点数も増えます。部屋の中にものが多ければ、それらにたまったホコリをはたくなど掃除をしなければなりません。使わないものをただ保管しておくと、ゴミに家賃を払っているようなものです。デジタルガジェットが増えると、そもそも買うのにお金がかかり、充電したり、取扱説明書を保管したり、カバンに入れて持っていくものが増えて重くなったりします。
ものが増えればそれを探す、取り出す、掃除する、片付ける、どこに何があるかを管理するという時間も増えます。1日に10分、そうした作業が発生するとすれば、年間60時間、30年で75日分の時間が奪われ、その時間を使ってできたはずのことができなくなります。しかしものが少なければその手間と時間が削減されます。つまりなるべくものを持たない、ものを減らすということは、可処分時間を増やすことにつながるのです。
参考文献)『いつも時間に追われている人のための「超」時間術』(総合法令出版)