「しつけのためにやった」では済まされない!体罰の悪影響
体罰は百害あって一利なし、その手を止め、正しいしつけの知識を!
先日起きた、千葉県野田市の痛ましい虐待事件では、父親が暴行を繰り返し、10歳の女の子が自宅の浴室で死亡しました。その後、傷害容疑で両親が逮捕されましたが、事件当時の様子が明らかにされるにつれ、なぜ我が子にここまでの行為ができるのか…とあまりの壮絶な内容に怒りを覚えます。
他の虐待事件の例に漏れず、この父親も、「しつけのためにやった」と供述しましたが、顔を浴室の床に打ち付けたり、膝でのしかかったり、冷水シャワーを浴びさせることの、どこがしつけと言えるのでしょうか。
「しつけのためにやった」は親の言い訳であり、弱さの露呈です。ここでは、体罰がもたらす心理的な悪影響について書いていきます。
「体罰はしつけ」と考える親たちの思い込み
今回の事件のみならず、世の中には、「体罰はしつけになる」と考えている人たちがいます。オーストラリアの大学の調査によれば、そのような発想の人は、
- しつけの一環としての体罰であれば子供に害はない
- たまに叩くくらいなら子供を傷つけることはない
- 体罰こそ、子供が唯一理解できる教えだ
- 体罰を使わないと、子供を甘やかすことになる
- 体罰で子供に責任感を学ばせる
- 子供は体罰により他者をリスペクトすることを学ぶ
体罰の即効性が勘違いを起こす
子供は痛い思いをすると学ぶのか?
子供に教えるということは、
- 新しいスキルを授けること
- 新しい行動ややり方を伝えること
大人が子供に対し、力を加えたら、子供は言いなりになるしかありません。大人の力には到底かなわないのですから。しかし、自分が力で圧していることを忘れ、その状況だけを見て、「やっぱり体罰は効く」と勘違いしてしまう……。
体罰は、その瞬間だけ、子供の行動をコントロールできるがために、甚だしい勘違いを起こしがちですが、それはその瞬間だけ。そこには、新たなスキルも置き換えるべき行動も示されていないのですから、子供は、次も同じような行動を繰り返すケースがほとんどです。それに対し、その親は、「もっと痛くしないと分からないのだ」と体罰を強め、エスカレートや常用へと転じていくのです。
体罰は子供の心もボロボロにしてしまう
体罰は、子供たちの体を傷つけるだけでなく、心の中の「自己感」をも著しく破壊します。そこには、- 親子間の絆である「アタッチメント」もない
- それゆえ、自分の存在を認められるだけの「自己肯定感」も育たない
- さらには、大きな人間に力で抑制されることで、自分を非力に感じ、「自己効力感」も失う……
親から体罰や言葉の暴力を受けて育った子は、二次的な影響として、自分自身も、強い力に頼る傾向があります。なぜなら、その子は、親がそうやって問題を解決してきたのを目の前で見てきたからです。
問題解決力というのは、日々の経験で習得していくものであり、小さいうちは、親からその術を学んでいきます。もし親が体罰を常用していたら、そこにあるメッセージは、「おまえも困ったら、力でねじ伏せればいいんだよ」。暴力しか知らなければ、いざというときに、すぐに手が出てしまうなど、問題を抱えるようになってしまうのです。
日本は体罰への対応が緩い
2018年現在、世界の54の国々が、子供への全ての体罰を禁止する声明を出しているのをご存知でしょうか? 今から約40年ほど前の1979年に北欧の国・スウェーデンが着手し、1983年にフィンランド、1987年のノルウェー、その後ヨーロッパ諸国へ、そして今では、大陸を超えてその動きが広がっています。しかし、残念ながら、日本の名前はそこにはありません。「体罰はダメ!」とみんな言っていても、禁止している国々と比べたら、まだまだ緩いのです。「ちょっと手を叩くくらいなら大丈夫」という気持ちは、しだいにエスカレートを引き起こします。
ちょっと叩いて言うことを聞かなかった
↓
力を強めたら言うことを聞いた
↓
しっかり強く叩かないと効果がないのだ
↓
よし、もっと強めていかないとダメだ
という展開になるからです。だから、体罰は”いかなるもの”もNGです。「つい手が出そうに…」という方、力に頼らないしつけをぜひ学んでください。正しい知識が入り、心のからくりが分かると、自分のこともコントロールしやすくなるし、子供の心も理解しやすくなります。げんこつを握るのでなく、鉛筆を握って欲しい、そう切に願います。
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