【『FUN HOME ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』観劇レポート】
キャストの緻密な演技が紡ぐ“風変わりにして普遍的”な物語
(いわゆる“ネタばれ”を含みますので、未見の方はご注意ください。)『FUN HOME ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』写真提供:東宝演劇部
家型のシルエットを映し出した、がらんどうの空間。主人公のアリソンがペンをとると、舞台奥から少女が現れ、“飛行機ごっこをして”、と父を探す。段ボール箱とともに登場した父は、知りあいからもらったという箱の中身を“がらくた”と“アンティーク”に仕分け始め、観客は間もなく、この光景がアリソンの少女時代の一コマであることを知る。
『FUN HOME ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』写真提供:東宝演劇部
副業で葬儀屋を営んでいた我が家で、弟たちと“ファン・ホーム”ソングを作ってふざけていた12歳のころ。無邪気な“私”は気にもとめなかったが、今から思えば、父と庭師のロイの間には何かがあった。そして母は、そのことを知っていた。
『FUN HOME ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』写真提供:東宝演劇部
19歳になった“大学生の私”は、自身がレズビアンであることに目覚め、両親に手紙で告白。しかし返事はなかなか来ず、里帰りをした際にも、父との会話は弾まなかった。“私”の人生が新たに始まって4か月後、父はトラックの前に身を投げ出す。自分のカミングアウトが、悩みを抱えた父を追い詰めてしまったのか。何気ない、けれどその中に“決定的な瞬間”が含まれていたかもしれない過去の断片を振り返りながら、アリソンは思いを巡らせる……。
『FUN HOME ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』写真提供:東宝演劇部
アリソン・ベクダルの自伝的コミックの舞台化である本作は、極めて私的な体験を描きながら、ジニーン・テソーリによるまろやかで忘れがたい旋律に彩られ、観る者のさまざまな感情を喚起。今回の日本初演は小川絵梨子さんの奇をてらわず、リアルな人間描写に重きを置いた演出のもと、この“風変わりで普遍的”な物語を緻密に描き出します。
『FUN HOME ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』写真提供:東宝演劇部
少女時代と大学時代を行きかう物語の回顧者である“大人のアリソン”を演じるのは、瀬奈じゅんさん。感傷を排してかつての自分と家族を冷静に見つめ、しばしば“補足説明……”と状況を解説する姿には、知性と頼もしさが滲みます。それだけに終盤、彼女が物語世界に自ら入り込み、もしかしたら悲劇を食い止められたかもしれない“最後のチャンス”を追体験するくだりには、いっそうの悲痛さが。また同級生ジョーン(横田美紀さん)との出会いからレズビアンであることに目覚める“大学生のアリソン”を演じる大原櫻子さんは今回、愛らしさを封印。飾り気のない所作・口跡が、カミングアウトを果たすアリソンの行動力と整合性を見せています。
『FUN HOME ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』写真提供:東宝演劇部
12歳のアリソン役・笠井日向さん(龍杏美さんとのダブルキャスト)は、人生で初めて女性にときめくナンバー「鍵の束」での、まっすぐな歌声が印象的。彼女と弟たちが歌う「おいでよファン・ホーム」、上口耕平さんらがテレビの中のキャラクターに扮して歌う「愛のレインコート」はどちらも70年代ポップス・テイストの曲調とビビッド・カラーの衣裳が楽しく、シリアスな物語の中で、ほっと息をつかせます。
『FUN HOME ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』写真提供:東宝演劇部
母ヘレン役の紺野まひるさんは疲れた口跡に長年、積もってきた苦悩をうかがわせ、父ブルース役の吉原光夫さんは“家”を愛しながらも“良き家庭人”にはなりきれず、鬱屈した男を繊細に表現。ブルースが12歳のアリソンの描く絵を大人げなく否定し、“こう描くんだ”と自分で描いてみせるくだりが生々しく、当時とは違った視点でその光景を眺める大人アリソンとともに、観客はブルースが少しずつ自己嫌悪を増大させていったであろうことを容易に想像できるのです。
『FUN HOME ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』写真提供:東宝演劇部
はじめに“大人のアリソン”が述べたとおりに事は運び、厳然と悲劇は起きますが、全てを回顧し終わってのアリソンの台詞は、理解できないまでも父と自分との接点を暗示。
『FUN HOME ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』写真提供:東宝演劇部
近くて遠い存在だった父との間にも、親子の絆というものがあったと確認できるその幕切れは、切なくもどこか温か。その余韻の中で劇場を後にできる舞台となっています。