お金を使うことで人とは違う能力が手に入る
意識したことはあるでしょうか。「私たちはお金を使うことで、他者と差別化された人生を作ってきた」ということに。ビジネススクールや英会話教室、スポーツクラブなどに行けば、当然ながらお金がかかります。しかしその出費と引き換えに、他人より優れたスキルや運動能力を手に入れることができる。あるいはその能力を他者よりも強化することができる。
私の妻はピアニストですが、学生時代、高い月謝を払って著名な先生についたからこそ、競争率の高い音楽大学に進学でき、国際的なピアノコンクールで入賞できたと言っていました。また、彼女のビジネスであるボイストレーニングスクールは、音大時代に学んだ声楽の技術が活かされています。
私自身も、簿記1級や米国公認会計士の資格を取得するために専門学校に通いましたし、論理的思考力を身につけるためビジネススクールが主催するコースに通いました。英語力向上のため、夫婦そろってフィリピンの英語学校にも通いました。
つまり資本主義社会では、効率よくスキルや能力を高めようとすると、多少なりともお金はかかるもの。お金を払ったからこそ、一般に流通していない貴重な専門知識やスキルを教えてもらえるし、短期間で効率よく習得することができます。
また、豊かで充実した生活も、ある程度お金をかけることで得ることができます。未知の経験を既知にすることで、選択肢が増えていきます。
たとえば運転免許を取るにはお金がかかりますが、免許を取れば「自分で運転して好きな所へ自由に行く」ことができ、行動範囲もレジャーの楽しみ方も増える。
CDを聞くだけより、ライブに行ったほうが感動するし、レストランで人をもてなすことで人間関係を広げたり深めたりすることができる。家にお金をかければ心地良い住環境を作ることができるし、旅行にお金をかければ自分が持っている常識とは違う世界に触れて視野が広がる。そんな感動や感激を経験できれば、人生の楽しみ方がどんどん増えていきます。お金を使えば経験できることの選択肢がぐっと広がります。
反対に、お金を使わなければ、自分の環境は何も変わることがありません。もちろんお金をかけなくても人生を楽しむ方法はたくさんありますが、やはり限界があります。お金を使わない生活とは、今の自分の生活圏の外側へ踏み出さないということです。
自分が馴染んでいる世界の中だけで生きるのは、確かに安心で心地いい。
しかし、今の自分が見たことのない世界を体験しないとか、今の自分が持っていない発想や価値観に触れないという生活は、自分が進化しないということを意味します。
それは味気ない人生ではないか。だから私は、ガンガンお金を稼ぎ、それを自分や自分の大切な人の成長や進化のために使いたい。そして、「死の間際がもっともお金持ちになっていて、多額のお金を残したままこの世を去る」という平均的な日本人の生き方ではなく、使い切って人生の貸借対照表をチャラにして死ぬ、というのが理想です。(もっとも、何歳まで生きるかはわからないのでそううまくはいかないと思いますが、ひとつの理想として、です)
参考文献)「33歳で資産3億つくった僕が43歳であえて貯金ゼロにした理由~使うほど集まってくるお金の法則~」(日本経済新聞出版社)