住みたい街 首都圏/住みたい街の見つけ方

閉ざされた川「暗渠」から知る、街の見えない姿・歴史

閉ざされてしまった川「暗渠」(あんきょ)を訪ねて歩く人たちがいる。注意深く街を見ることで見えてくる暗渠は、かつての街の姿を甦らせ、歴史を教えてくれる。暗渠を見つけ、知るための知識を暗渠マニアーのお二人に教えて頂いた。

中川 寛子

執筆者:中川 寛子

住みやすい街選び(首都圏)ガイド

暗渠のサインは車止め、湿気・苔に不自然に広い歩道など

緑道

暗渠(あんきょ)が緑道、遊歩道などになっていることも多い。特に世田谷区、目黒区などでは桜の名所が実は暗渠などという例も多数(クリックで拡大)


江戸時代、東京はイタリアのベネツィアに並ぶほどの水の都と言われた。その後、江戸が広がるにつれ、自然の川以外にも数多くの水路が掘削されたが、関東大震災、第二次世界大戦で瓦礫処理のために埋立てが行われ、ついで高度経済成長期に下水道を整備するために多くの水路が埋め立てられ、暗渠(あんきょ)となった。

だが、街の中にはかつての水辺を教えてくれる痕跡が残されている。今回、その見方を教えてくれるのは『暗渠マニアック』(柏書房)の著者高山英男氏、吉村生氏のお二人だ。

車止め

車止めを見たら暗渠かもしれない。周辺を見まわして他に暗渠を疑う要因がないか、五感を働かせてみよう(クリックで拡大)


「暗渠の存在を疑うサインとして5つのポイントがあります。ひとつは低い場所にある細い抜け道。二つ目は湿気、苔など低地を示すサイン。3つ目は緑道や細長い公園。さらに車止めも怪しい。地下に排水管がある場合、そこにあまり重さをかけたくないので、車両が通れないようにしたり、重量制限をしたりするからです。そして最後のひとつが不自然に広い歩道です」と高山氏。

広い歩道

松庵川が暗渠化されたそよかぜ通り。歩道の幅が広いのがお分かりいただけるだろうか。左手の建物は暗渠近くに多い銭湯だ(クリックで拡大)


教えてもらいながら歩いたのは杉並区にある高井戸第4小学校前の、そよかぜ通りと名付けられた道で、ここは昭和40年代に暗渠化されるまで下水として人工的に掘削された松庵川が流れていた場所。しばしば洪水を起こす川だったそうで、それを防ぐため、往時の川幅から考えるとかなり径の大きな排水管が用いられ、その上が歩道となった。

実際に見ると車道と歩道の幅のバランスがおかしい。歩道が広すぎるのだ。だが、教えてもらって他の暗渠を歩いて見ると、どこも歩道の幅は広め。分かりやすいポイントである。

暗渠の傍には銭湯、豆腐屋、製餡所などが

また、暗渠沿いには、いくつか、特徴のあるモノが見られる。ひとつは欄干や橋の親柱、水門、橋跡、護岸など、川にしかないモノたち。これは注意深く足元を見て行けば確実に見つけられる。また、街によっては川もないのに、何とか橋という地名が集中していることがあるが、これはかつてそこに橋があったことを示唆する。そんな時は地名を繋いでみると、過去の流路が見えてくるかもしれない。

水を使う業種が集まっているのも暗渠沿いの特徴。前述のそよかぜ通り沿いには天狗湯なる銭湯があり、なんと養魚場も。都内では東京低地の江戸川区船堀周辺に養魚場が集まっていることが知られているが、武蔵野台地上の杉並区でもかつての川沿いには養魚場が成り立っていたわけである。

釣り堀

阿佐ヶ谷駅の近くにある釣り堀「寿々木園」。脇の小道を歩いて見ると暗渠とは何かが実感できる(クリックで拡大)


ちなみに、同じ中央線沿線の阿佐谷駅では駅からすぐの、マンションなどに囲まれた一画に釣り堀(!)がぽつんと残されているが、ここも桃園川支流の相沢堀に沿って立地しており、かつてはもっと大きな池があったとか。釣り堀の脇の道はまごうかたなき暗渠であった。

銭湯、釣り堀、養魚場以外ではクリーニング店、豆腐店、製餡所、材木店、染物店などがかなり怪しく、製粉所、印刷所・製紙業、プールなども暗渠の可能性ありなのだとか。面白かったのは23区内には17軒の製餡所があるそうだが、うち、76.5%は暗渠あるいは川の近く。あんこがそんなに暗渠好きとは知らなんだ、である。

暗渠に行ったら猫がいる?

蓋のある暗渠

阿佐ヶ谷の釣り堀脇の暗渠。左側、蓋があるのが分かるだろう。ちなみにこの暗渠は小学校にぶつかって終わっていた(クリックで拡大)


川沿いの土地は低地で、比較的地価が安いことが多い。そのため、特に広さが必要な施設では暗渠沿いの立地が多い。具体的には清掃工場、火葬場、自動車教習所や学校、公園など。特に学校については本来、防災拠点となるべき、安全を確保したい場所というのに、川沿い、暗渠の傍らなど低地に立地していることが多い。広い土地が確保するためには仕方ないのだろうが、本当のところ、それで良いのか。疑問を感じる。

埋められていない部分

暗渠を辿ってみると一部に埋め立てられていない場所を見つけることも。暗渠を求めていつもとは違う場所を歩くと発見がある(クリックで拡大)


また、商店街も同じ理由から暗渠、川跡なども含め、低地に立地することが多く、逆に高台の商店街は成り立ちにくいとされる。今の時代にはあまりリアルではないが、花街、遊廓なども同様だ。

●参考記事はこちら
首都圏の商店街はなぜ低地にあるのか

暗渠が町や自治体の境界になっていることもある。特に東京の場合、都心、下町ではこの傾向が顕著でたとえば千代田区と他区の境界は神田エリアを除くと川か、暗渠。文京区との境は神田川、新宿区との境は外堀で、ここは川。それ以外は暗渠で、千代田区神田と中央区日本橋の間には1950年に埋立てられた龍閑川、中央区日本橋、八重洲、銀座との境にあったのは外濠川で、港区との境は汐留川に赤坂川。かつては川だらけだったのである。

ちなみに高山氏の計測によると、千代田区の外周約16.5キロメートルのうち、川または暗渠は約12.3キロメートル、比率にして74.2%。中央区はさらに高く、95%で、ついで割合が高い自治体は足立区、墨田区、江東区、江戸川区、葛飾区、そして千代田区となるそうだ。

ご祭神が水に関連がある弁財天だったり、厳島神社分社であるなどの場合には神社も暗渠のサインであるケースがある。

暗渠と猫

かつての松庵川を追って歩いていたところで出会ったお猫サマ。やはり、暗渠には猫がいる(クリックで拡大)


もうひとつ、かなりの割合で見かけるのが猫。暗渠は人通りの少ない静かな場所であることが多いため、猫にはくつろげるのだろう。

暗渠の楽しみ方あれこれ

暗渠は土地の高低、街のかつての姿、歴史といった実用的な事実を教えてくれるものであると同時に、街歩きを楽しくしてくれるものでもある。たとえば、高山氏は世田谷区、目黒区の銭湯が品川用水沿いに並んでいるということに気づき、それが暗渠に目覚める(!)きっかけになったという。道路や鉄道などと言った、現前のもの以外に街を繋ぐ要素がある、そう考えると街の見え方が変わってくるはずだ。

宇田川

センター街を抜けて進むと、いかにも川の跡らしい蛇行が分かるようになってくる。さらに歩くと遊歩道に続いている(クリックで拡大)


ちなみに高山氏お勧めの暗渠は奥渋谷。「以前テレビ出演時にも紹介しましたが、宇田川(センター街)、渋谷川、河骨川など何本もの暗渠があり、地形も複雑。楽しめます」。

暗渠カレー

左上/港区にある、大型スリバチ我善坊谷、右上/こちらは暗渠ではなく、開渠という、梯子状に蓋がされているタイプ、左下/谷根千にあるへび道。藍染川の暗渠で、その昔川沿いに金魚屋さんがあり、大雨が降ると川に流されていたことをしのび、カレーの上にはパプリカの金魚 右下/チキンカレーで表現された五反田近くの鳥久保なる谷戸(クリックで拡大)


楽しみ方ではもうひとつお勧めしたいのが暗渠カレー。最近、地形をカレー化するものとしてダムカレーが知られるようになってきたが、いやいや、暗渠カレーも負けてはいない。ここでは吉村氏が作った各種の暗渠カレーをご紹介する。ここで紹介したカレーを見てから現地に行けば、味わいもひときわのはずだ。

桃園川

こちらは桃園川跡。うねうねと街を繋ぐ遊歩道となっており、初心者(!)にも楽しめる(クリックで拡大)


そんな吉村氏がお勧めするのは杉並区の阿佐ヶ谷、高円寺を流れ、神田川に注ぐ桃園川。「遊歩道になっていて分かりやすく、支流も多いので散策が楽しめます。もうひとつ、自然な河川の蛇行とは異なり、人工河川で直角に曲がることもある松庵川も流路が比較的分かりやすく面白いですね」。

もっと暗渠を知りたいという人は2016年11月3日から23日まで杉並区は西荻窪周辺で開かれる西荻ドブエンナーレをお勧めしたい。これは野外×アート×まちなかを掲げて杉並区で開かれるトロールの森2016というイベントの一部として開かれるもので、関連書籍が一度に眺められたり、暗渠カレーが食べられたり、暗渠マニアによるトークイベントがあったりと盛りだくさん。ぜひ。


※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。

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