テクノポップ/アーティストインタヴュー

伝説のエレクトロポップ・バンドURBAN DANCE再結成(2ページ目)

昨年12月に、URBAN DANCEの3枚のアルバムにデモ音源などを加えた2枚組CD『UD CHRONICLE』が発売。3月12日には、プロデューサーでもあった高橋幸宏氏をゲストに迎えて、再結成ライヴが恵比寿 CreAtoで行われました。成田忍・松本浩一両氏に当時の話から、東京公演の感想、そして大阪公演(3月25日)への抱負などを語っていただきました。

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

テクノポップガイド

SHINOBU時代の音源

ガイド:
URBAN DANCEは、個人的にも大好きなバンドです。「Ceramic Love」は、今聴いても風化しない名曲だと思います。この曲は、URBAN DANCE結成以前に成田さんがSHINOBU名義でKang-Gung Recordsからリリースしたソノシートにまで遡るんですよね?

Ceramic Love (Discogs)
ceramiclove

Ceramic Love


成田:
「Ceramic Love」ね。褒めていただきありがとうございます。URBAN DANCEの1枚目は4-Dのころから何年かかけて作ってた音源のいわば、その時点の僕のベストアルバムです。

ガイド:
今回『UD CHRONICLE』に収録さ入れたカセットブック『DREAM EXPLORER』にも、「Ceramic Love (SHINOBU Version) 」が入っていますが、これはまたソノシート版とは違うのですか?

成田:
カセットとソノシートは同じ物と思ってます。

男女にアピールできたURBAN DANCE

ガイド:
URBAN DANCEは、男女両方にアピールできたバンドという印象があります。POP ACADEMYというサイトをやっていた時も、普段はほとんどのアーティスト情報が男性から来たのですが、URBAN DANCEは男女バランスが良かったです(笑)。当時を振り返って、URBAN DANCEのファンはどんな方たちが多かったのでしょうか?

松本:
当時は僕たちも若かったので、若い世代の女性ファンもいらっしゃいました。やはり、バランスが良かった気がします。6:4で男性の方が多かった印象です。今はほとんどが男性ファンじゃないでしょうか。これを機会にオジサン好きな女性ファンが増えてくれると嬉しいです(笑)!

成田:
当時を振り返っても国内であまり類似するバンドがなかったので答えにくいですが、YMOを好きな人達とニューロマンティック好きという感じだと思います。

海外のエレクトロポップと肩を並べられる作品を目指していた

ガイド:
また、海外のエレクトロポップ・ファンにURBAN DANCEを教えると、とても良い反応が返ってくることが多いです。英語詞の歌もあり、当時海外進出といった野望はなかったのでしょうか?

成田:
もちろん興味はありました。もっとセールス的に成功していれば実現していたと思います。ここは残念ですね。

松本:
海外進出まで考えるスパンも無く解散してしまいましたから。もし、2年以上続いていたとしても、レコード会社の意思からすると、逆に日本語の作品の方が増えて行ったんじゃないかと想像します。英語でやるのは、ニューウェイヴがディスコ(クラブは存在しない時代)で流れる時代だったので、個人的には、そういうところで流れて踊ってもらいたいと思っていました。僕は洋楽志向が強かったですから、海外のエレクトロポップ、ニューロマと肩を並べられる作品を目指していました。

解散した時の心境

ガイド:
URBAN DANCEは、『2 1/2 (TWO HALF)』のリリースを最後に解散となってしまうのですが、この時期みなさんの心境はどうだったのでしょう?

成田:
元々バンドというよりはフレキシブルなユニットみたいなつもりで作ったので、なんというか何がなんでも続ける、という根性は無かった(笑)。活動停止後も新しいメンバーを探してやり始めていましたが、これも残念ながら続かなかったですね。UD-ZEROという名義で2曲収録したコンピアルバムがあります。Alfaレコードから『Alternative Electrics Futurhythm 1992』にSoft Balletと一緒に入ってます。

Alternative Electrics Futurhythm 1992 (Discogs)
futurhythm

Alternative Electrics Futurhythm 1992


松本:
これは他でも話したことがありますが、ある日突然、成田からURBAN DANCEは次のライヴで解散する、というような感じで告げられました。心の準備は出来ていませんでしたがURBAN DANCEは成田のバンドだと思っていましたから、僕たちの役目は終わったのだと思いました。特に反対もせずに受け入れました。最後のライヴはオーディエンスにも告げられる事もなく終わってしまい、ファンの方々には不誠実な振る舞いをしていると感じていました。ですので、最後のライヴは感謝をこめていつもより気合を入れて取り組みました。多分、解散と伝えなかったのは、今思えば、成田がその後ソロプロジェクトとしてURBAN DANCEの名前を継続しようと考えていたのかもしれませんね。
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