レニングラード・ロッククラブが輩出したコーフェ
レニングラードは、ソ連におけるロッククラブの発祥の地。同じくレニングラード出身のコーフェ(Кофе)のセカンドアルバム『Баланс(バランス)』(1986年)も、ロシア構成主義ど真ん中のジャケットです。収録曲の「Зеро(ゼロ)」は、デレビの歌番組で放映される人気曲となりました。Баланс (Discogs)
Зеро (YouTube)
ナタリヤ・ソロキナ(Наталья Сорокина)がラガマフィンとテクノ(Kraftwerkネタ使っています!)が混在したカヴァーをしています。
Ставлю на зеро (YouTube)
『Баланс(バランス)』の制作前に、元テレヴィーザル(Телевизор)から二人のメンバーがコーフェに加入。テレヴィーザルは、政治的なニューウェイヴ・バンドとしても知られましたが、アルバム『Отечество иллюзий(祖国の幻想)』(1987年)では、そのタイトル、ジャケットからも政治的なメッセージが感じ取れます。
Отечество иллюзий (Discogs)
Отечество иллюзий (YouTube)
米ソ友好に努めたツェントルのリーダー、ヴァシリー・シュモフ
ヴァシリー・シュモフ(Василий Шумов)がソロとして放ったファーストアルバム『My District』(1986年)。シュモフは、モスクワをベースに1982年にデビューしたツェントル(Центр)のリーダーです。このアルバムは、RED WAVEというシリーズでソ連のニューウェイヴを世界に売り出そうという志のもと、米国そして日本でも発売されました。ラストの「Kasparyan - Stingray Wedding Song (USA-USSR)」は、米ソ友好ソング。プロデューサーだったJoanne Stingrayの妹、Judyと1990年に結婚し、米国に移住しました。My District (Discogs)
ちなみに本国でリリースされた『Мой район (My District)』は、アヴァンギャルド風ではありません。
Мой район (Discogs)
以上、ソ連の共産テクノから選んだロシア・アヴァンギャルドなジャケット展の第1回でした。連載として続けていきます。