ミュージカル『手紙』観劇レポート
ミュージカルという表現手法で深く抉り、「体感」させる
登場人物たちの魂の旅
ミュージカル『手紙』
「ある日突然起こるかもしれない」人生の逆転。舞台が手前、通常舞台があるはずの奥が客席になった配置によって明確に表現されたこのテーマを「体感」しつつ、観客は自分の席につくことになります。舞台に四方から集まってくるのは、耳にイヤホンをつけた俳優たち。他者に対しては無関心の現代人を象徴するようなイメージに、老婦人による幕開けのナンバーが重なります。「今日もテレビじゃ、誰かが殺されたって騒いでる…」。後に自身が事件に巻き込まれるとは夢にも思わず、他人事のように歌う彼女。現代社会の空気感や構図を常に意識させながら、物語は展開してゆきます(演出・藤田俊太郎さん)。
ミュージカル『手紙』
後方に並んだいくつかのセルが独房にも、住居にも、階段にも変身するセット。舞台は主として、突如「殺人者の家族」となってしまった直貴の物語を描きますが、時折、受刑中の兄の独白も差し挟みます。ロック、サンバ、カントリー風と多彩な音楽が登場する作品において、シンプルなピアノ伴奏に乗せて弟を思う剛志のナンバーは透明感に溢れ、刑務所という、ある種現実から隔離した世界の中で純化された彼の思いをストレートに伝えます。(音楽・深沢桂子さん、作詞脚本・高橋知伽江さん)。
ミュージカル『手紙』
いっぽうの現実世界で直貴は、「人殺しの弟」というレッテルによって差別され、希望を抱きかけては失い続ける。一幕終わりのナンバーのアグレッシブな曲調と彼が客席通路にはじかれるように飛び出してくるステージング(振付)は、忍耐が限度を超え、「俺はあんたの弟であることを捨てる」と、縁切りを誓う瞬間を描写。この迫力、凄まじさは舞台ならではの表現でしょう。新たな生活をスタートさせ、そこでも様々な苦しみを経験する直貴は決意をもって、一つのアクションを起こすのですが…。
ミュージカル『手紙』
原作小説がほぼ直貴の視点から語られ、読者が直貴に自分を重ね合わせ、彼の心の旅路を辿ってゆくのに対して、今回の舞台版では彼以外のキャラクターのパワフルな歌と演技によって、周囲の人々が肯定的にせよ否定的にせよ濃厚に主人公と関わり、「社会」というものの成り立ち、またその中で生きてゆく「個人」というものを痛感させる点に、最大の特徴があると言えます。
ミュージカル『手紙』
とりわけ直貴を気遣い、後に伴侶となる由実子は演じる北川理恵さんの凛とした歌声と台詞もあいまって、「どんな人生にも、どこかに必ず希望はある」と信じられるよすがのような存在に。もちろん刻々と押し寄せる、衝撃、戸惑い、苦悩、怒りといった感情を全身に滲ませ、観客の心を掴んで離さない直貴役・三浦涼介さん、後姿一つで悔悟の念と弟への思いを表現する剛志役・吉原光夫さんの迫真の演技も特筆に値します。
ミュージカル『手紙』
難しいテーマに真正面から取り組み、ミュージカル形式の特色を生かして舞台化した今回の『手紙』。原作とは少しだけ異なるその幕切れと、クライマックスで歌われるナンバー「歌おうメリークリスマス」の簡明だからこそ胸に染み入る歌詞の余韻の中で、鑑賞後は思わず連れ立ってきた相手と語り合いたくなる作品です。