変わり種切手の多いバルト三国
「第3回ヨーロッパ切手展」でテーマとしたバルト三国は、ドイツ、ロシアという大国に挟まれたこともあり、歴史も複雑です。そのため、第1次世界大戦直後や、ソビエト連邦崩壊時にバルト三国では、混乱した世相や物資欠乏を反映して、さまざまな応急的な変わり種切手が誕生しました。これらは、切手収集家の関心を向けるために、意識的に企画された変わり種切手とは一線を画しています。以下、それぞれ見ていきましょう!地図の裏に切手を印刷したラトビア!
ラトビアが1918年に独立した直後は物資欠乏のため、さまざまな紙を再利用して切手を発行したことが知られています。中でも同年12月18日発行(実質的な発行日には諸説あり)とされるラトビア最初の切手は、ドイツ軍の軍用地図(1914-1917年製造)の裏面に印刷したことで有名です。12枚×横19枚と1シート228枚構成といういびつなシート構成をとったのも、大判の用紙を無駄なく使おうとしたためです。約270万枚が印刷され、そのうち112万枚超に目打が施されたものの、途中で目打機が故障したため、160万枚は無目打のまま販売されました。なお、地図切手の詳細については、コチラをご覧ください。なんと!紙幣の裏に印刷したラトビア切手
ラトビアが1920年から1921年に発行した記念切手のうち、紙幣の裏に印刷した切手があります。正刷切手としては、ラトガレ編入記念(ラトビア東部のラトガレが正式にラトビアに帰属した記念)2種、赤十字の福祉切手4種があります。いずれもロシア革命に対する反革命軍(白軍)を指揮したアヴァロフ・ベルモント大佐が用意したドイツ語・ロシア語併記の10マルク不発行紙幣の裏面を流用したもので、一部の例外を除いて1922年4月30日まで使用されました。エストニアでは観劇券の裏に試し刷り
エストニアの最初の切手である花図案切手は1918年11月24日に窓口発売が開始されたとされています。実はこの切手の試し刷りをする際に、観劇券の余りを再利用しています。エストニアの一番切手そのものは1枚50円から300円ほどで入手できますが、観劇券に試し刷りしたものは入手困難で、1枚1万円以上で売られているのを時おり見かける程度です。紙テープを使った臨時のエストニア切手も?
エストニアはソビエト連邦から再独立したのち、1991年10月1日に独立後初となる国章を描いた切手9種を発行しました。ところが、エストニア第2の都市タルトゥで切手の在庫が不足したため、テレックスの鑽孔テープの紙に数字額面を打ち抜いて、暫定切手を製造。1991年12月19日からタルトゥやその周辺の郵便局で発売しました。額面は3.6ルーブルから104.7ルーブルまでの16種があり、ドイツのミッヘルカタログにはエストニア切手の巻末に詳細な発行経緯が記してあります。なお、変形切手収集家として知られる荒巻裕一氏は、自身のホームページの中で、「入手の難しい変わり種切手」として紹介しています。
次のページでは、「第3回ヨーロッパ切手展」の発起人の1人であり、世界的にも著名なリトアニア切手収集家の荒木寛隆さんの収集品を紹介したいと思います。