老いとは実年齢ではなく、自分自身が「老い」を感じた時から始まるものではないでしょうか。
老いを感じたら終末の準備を
もっと高齢になって、ぎりぎりまで自分の行く末を決めることができず、最悪、選択肢がなくなってから、初めて自分の置かれた状況に気づいたり、もしくは、それすらわからなくなって、人の助けでかろうじて命を長らえることを優先せざるを得ない状況になることもあります。「老い」を感じたら、そろそろどのような終末を迎えるか、準備を始める時期ではないでしょうか。
高齢の猫ちゃん
我が家のように、犬や猫と暮らしていると一番心配になるのは、もし自分自身に何かがあった時、残された動物がどうなるかということ。この先、誰かに介護をしてもらわなければ日常生活がおくれなくなった時に、犬や猫の行く末はどうなるのだろうと考えます。
いま暮らしている環境のまま、家族に面倒をみてもらえるのは理想かもしれませんが、家族には家族の生活があり、こちらも、家族だからこそ迷惑をかけたくないという気持ちになるかもしれません。また核家族化が進む現代では、面倒をみてもらえる家族すらいない可能性もあります。
では、どうするか。
ひとつに、介護施設に入るという選択肢があります。介護施設に入る時に一緒に暮らしている動物を引き受けてくれる施設やシステムがあれば理想ですが、日本の現状はまだまだ。多くの動物は愛護センターなどに持ち込まれ、そこで新たな出会いがなければ殺処分されてしまいます。
高齢者が飼っているのはほとんどが高齢動物です。それまで人に頼り、人と暮らしてきた動物が、人の都合で殺されてしまうのです。そして、その選択しかできなかった高齢者の心の痛みは想像を絶します。
金銭的に余裕があれば、犬や猫も一緒に引き受けてくれる民間の施設を探せるでしょうが、庶民にはなかなか手が届きません。比較的、金銭的に利用しやすい公的機関の特別養護老人ホームには、まず犬や猫を連れて行けないだろうと諦めていたところ、飼っているペットと共に入所できる特別養護老人ホームがあることを知り、早速見学に行ってきました。
特別養護老人ホーム「さくらの里 山科」
ペットと共に入居できるのは、神奈川県横須賀市にある社会福祉法人心の会の特別養護老人ホーム「さくらの里 山科」。ここは、社会福祉法人や地方自治体が運営する公的施設の特別養護老人ホーム(特養)でありながら、その枠にとらわれることなく「あきらめない」福祉の可能性に挑戦している『特養』です。社会福祉法人心の会の特別養護老人ホーム「さくらの里 山科」
その「あきらめない」福祉のひとつが、いま飼っているペット(伴侶動物)と一緒に入居できること。現在、日本でペットと共に入居できる特養はここだけです。
高齢者の生活の中に犬や猫がいる特養と聞いた時、最初は動物との暮らしが人の健康や精神状態に与える良い影響を期待してのことかなと思いました。しかし、案内をしてくださった施設長の若山さんは、
「ペットと暮らすことは何も特別なことではありません。
好きな食事を食べたり、旅行に行ったり、好きなTVを観る、友達と話をする、当たり前の日常のひとつに『ペットと暮らす』があります」と。
犬1頭、猫3頭が飼い主と共に入居中
若山さんが若いころ、愛犬と離れられないので施設に入居したくないという高齢男性を担当したそうです。しかし、最終的に自分の身の回りのこともできなくなった男性は、行政の対応で施設に。飼っていた犬は愛護センターに持ち込まれ、殺処分されました。程なくして、男性は失意のうちに体調を崩し、亡くなってしまったそうです。「さくらの里 山科」は平成24年4月の開設時当時から、一部の施設をペット可にしようと計画されました。ペットと暮らすことが、その人の生活の一部であれば、それを切り離さない、それがその人のQOLの向上につながるのであれば、それも福祉の役割だと若山さんは語ります。
現在、「さくらの里 山科」で暮らしている犬は5頭、猫は10頭。そのすべてが飼い主と共にここに来たわけではなく、飼い主と共に入居したのは犬が1頭、猫が3頭。そのほかは、飼い主と一緒に入居し、飼い主が先に旅立った後も、ここで面倒をみてもらっている犬と、保護犬や保護猫の譲渡ボランティア活動を行っている「ちばわん」さんから引き取られた動物たちです。ここにいる動物たちは、虹の橋を渡るまで、ここで終生面倒をみてもらえます。
わんちゃんの紹介パネル
4階建ての施設の2階部分が犬と猫のいるフロアで、別々の玄関があり、直接行き来はできなくなっています。犬がいるフロアと、猫がいるフロアは、それぞれ10室ずつの個室が一つの区画(ユニット)を形成し、広く明るいキッチン付きのリビングが用意されています。
つい、猫ちゃんをかまいたくなってしまいます
猫がいるユニット
猫がいるユニットはとても静かです。リビングにはオープンカウンターのキッチンがあり、車いすを利用している人用に背の高さの違うテーブルが4~5台。見学に伺った、穏やかな日差しが降りそそぐ午後、入居者たちは、思い思いの場所に座り、TVを観たり、新聞を広げたりおやつを食べたり、何もするでもなく、ゆっくりすぎる時間を楽しんでいるかのように見えます。その間、間に、猫がいます。猫は、当然のごとく一番日当たりのよい場所を独占しています。ちばわんから引き取られた猫は、日常生活に不自由はありませんが、生まれつき前肢が曲がっていたり、何かしらハンディを持っています。若山さんたちは、特に身体にハンディがあったり、高齢の動物を優先して引き取っているそうです。
前肢にハンディがあるベンガルくん
実は、これはとても理にかなっています。身体にハンディを抱えた動物は、基本的に性格が穏やかで、依存度が高く、人に懐きやすい傾向が高いからです。中にはハンディのある部分が痛んだりして、気むずかしく扱いにくい子もいますが、多くの子は人間のそばにいることで生活が楽になっていることを理解して、人を受け入れる体勢が整っています。
トイレやキャットツリーなど設備も充実
犬がいるユニット
犬が吠えると、入居者の声も上がります。猫のフロアに比べると、少し明るく賑やかな室内。これは犬と猫の違いですね。犬をしっかり抱きしめている車いすの女性。
「これはわたしの犬じゃない」
といいながらも、絶対に犬を手放そうとしません。
犬も、彼女の膝の上から動こうとせず、抱かれるまま。
「わたしの犬じゃないけれど、一緒に寝ているの」
犬のことを話すときは笑顔がこぼれます。
この子はわたしの犬じゃないけど、一緒に寝てるの
行政と施設の対応
動物を施設に一緒に迎え入れることと、高齢者が好きなものを食べたり旅行に行くこととは、受け入れ側や行政にとってのハードルが違うように思いますが、横須賀市は「さくらの里 山科」がペットと共に入居できる施設の計画案を提出したとき、それを許可しました。わんちゃんの写真
動物と共に入居できる特養ということで、全国から大勢の見学者が訪れますが、行政関係者、動物関係者はいても、実際に施設を運営する、これから施設を開設する関係者の見学はほとんどないそうです。それがどれほど良いことだとわかっていても、スタッフに負担がかかったり、万が一の事故を想定すると、介護施設に動物を置くことは、相当敷居が高いと思われます。
介護施設の床や壁は、もともと汚れにくく清掃しやすい素材で作られているので、動物を飼うには適しています。犬や猫が好きなスタッフが、それぞれのフロアを担当し、入居者のお世話だけでなく、動物の面倒もみます。犬の散歩などは外部のボランティアの協力も得られているそうです。
飼い主が持ち込んだ犬や猫にかかる実費(食費やトイレなどの消耗品費)は、飼い主が負担しますが、動物の面倒を見ることに対しての特別手当は支払われません。通常業務以外の動物の世話までこなしていけるのは、ここのスタッフが持つ福祉に対する高いプロ意識ではないかと感じました。
猫ちゃんの紹介パネル
現在、東京都の愛護センターから犬や猫を譲渡してもらえるのは65才まで。もし仮に50代後半で、子猫を飼い始めたら、もしその猫が20年生きたとしたら、あなたは果たしてその猫を見送ることができるでしょうか。
見送れないかも知れないから、もう自分は猫と暮らすことはできないと諦めるしかないのでしょうか。人生の最後の時間まで自分が自分らしく生きるために、大好きな猫と暮らすという選択肢があってもよいのではないでしょうか。
そのためには、このような特養がもっと一般化する、そして、高齢者と一緒に暮らせなくなった動物が、生涯を全うできる施設やシステムが待ち望まれます。
【取材協力】
社会福祉法人心の会の特別養護老人ホーム「さくらの里 山科」
横須賀市太田和5-86-1
TEL:046-857-6333