【『泣いた赤鬼』子連れ観劇レポート】
『泣いた赤鬼』16年公演より
今回公演が行われたのは、客席がかなりの傾斜になっている赤坂RED/THEATER。下方にある舞台を覗き込むような構造もあいまって、観客は黒を基調としたシンプルな空間に展開する物語世界に、自然にのめりこんでゆきます。人々の注目を集めて小さな操り人形たちも大きな存在感を放ち、舞台には変わりやすい人間たちの心、必死の願いが届かない赤鬼のもどかしさ、青鬼の無償の友情といった作品のエッセンスが次々に浮かび上がります。時折差し挟まれるナンセンス問答(「疲れたの?」「疲れたよ」「ほんとに疲れたの?」「疲れたねえ」といった問答が何度も繰り返される)も演出・天野天街さんの狙い通り、さくさくと運ぶ時の流れをひととき滞留させ、混乱の中に生まれる不思議な感覚が新鮮。現代的なプロジェクションマッピングと、木の板のセットをばったばったと倒すというアナログな演出がどちらも赤鬼の孤独の表現に使われるなど、「古典」と「現代」をバランスよくないまぜにした演出も、古典芸能出身である一糸座らしいと言えます。
『泣いた赤鬼』16年公演より
客演組の、大きな体格を生かして赤鬼を無心に演じる田中英樹さん(テアトル・エコー)、淡々とした演技に「本当の優しさ」を垣間見せる青鬼役・古市裕貴さん、女流義太夫の重鎮・竹本綾之助さんの圧倒的な声にハリのある歌声を重ね、クライマックスを盛り上げる少女役・王子菜摘子さんがそれぞれに好演。いっぽうの座員たちも、明朗な発声と達者な台詞廻し、そして滑らかな人形使いで終始濃厚な劇空間を作り上げます。
物語は「本当の友」を永遠に失ってしまった赤鬼の心の空洞を、一瞬の静寂を生かした演出で観る者に体感させ、終わりますが、同時に劇中、赤鬼と青鬼が何気なく交わす会話の不穏さの記憶もとどめさせます。それによれば、かつて彼らは人間に迷惑をかけたことがあるが、赤鬼はそのことを忘れて「人間と仲良くなりたい」と思っている。これは何を意味するのか。大人の観客の中には、作者・浜田廣介が本作を「忍び寄る戦争の足音」を聞きながら書いたという逸話を思い出し、今の世相に重ね合わせて薄ら寒いものを感じるかもしれません。
『泣いた赤鬼』16年公演より
その一方で子供の観客たちの反応は無邪気なもので、筆者が鑑賞した日には特に小学校低学年とおぼしき男の子が、赤鬼の一挙手一投足にころころと笑い転げたり、突っ込みを入れ、楽しんでいました。筆者の5歳の子は本作のあらすじを事前に把握していましたが、タイトルが気になったのか、観劇前にしきりに「赤鬼さんは最後に泣くの?本当に泣くのかな?」。1時間以上休憩なしの観劇は初めてでしたが、ずっと釘づけになり、観終わると「本当に泣いてたよ」。どうやら芝居の「本気度」を確認したかったらしく、満足したわが子は退場時、ロビーに出ていた赤鬼さんに自分から握手しに行っていました。大人以上にシビアに「本気」を求める子供たちにも、お勧めできる舞台です。