FRENCH TECHNO POP第1期
ガイド:岡本さんとは長いお付き合いとなりますが、この対談もメールのやり取りになりますので、まだお目にかかったことがありません(笑)。僕がAll Aboutでテクノポップ担当のガイドとなったのは、POP ACADEMYというサイトを1997年9月7日に始めたのがきっかけです。当時はまだインターネット黎明期。Googleもなく、ダイアル回線の時代ですね。岡本さんは、FRENCH TECHNO POPというサイトを1997年3月1日に開始していますが、何がきっかけだったのでしょう?
FRENCH TECHNO POP
岡本:
それまでもMikadoは坂本龍一さんのサウンドストリートとかで聴いて知っていたのですが、きっかけは1989年に刊行された『銀星倶楽部』のテクノポップ特集です。それまでアメリカやイギリス、ドイツのテクノポップしか知らなかったのに加えて、フランスのアーティストもいるんだな、と。
で、そうしたアーティストのレコードを探してる中で、一番その類のレコードがあったのが、当時梅田にあった東瀬戸悟さんが店長をやってもられたForever Recordsだったんです。東瀬戸さんは、Lioが来日した時のライブレポートを『Studio Voice』に書いておられたりして、フレンチ・テクノポップまわり(Novö:フランスのニューウェイヴなどポストパンクの音楽たちも含めて)について、いろいろと教えてもらった記憶があります。レコードも溜まってきたし、記録代わりにホームページ始めてみようかと思って。
ガイド:
関西人なんで、Forever Recordsにはお世話になりました。
僕も当時、FRENCH TECHNO POPのサイトを見つけて、キュートなWEBデザインにとても刺激を受けました。「この人、デザイナーか編集者なのかなぁ」とか思っていました。RHODIAのメモ帳を引用したのはやはり、フレンチつながりということですかね。
岡本:
まぁ、そうですね(笑)。フレンチと言えば…と連想して、RHODIAが「らしくて」いいなぁと思ったんですよね。当時は、デザイナーでも編集者でもなくて、専門学校の教職員でした。まだまだ、「趣味:ボームページ制作」という感じで自己紹介できたような頃です。現在は、コンピュータ書の編集をやる傍ら、趣味のアウトドアやキャンプについて文章を書いたりしています。
ガイド:
単独でフィーチャリングしているのが、Telex、Lio、Elli & Jacno、Mikado。僕の場合、多分最初に知ったのはLio。1980年に双葉社から出版された『テクノ・ボーイ』に載っていたのが、出会いでした。岡本さんの場合、彼らにはどのように出会ったのですか?
岡本:
最初は、恐らくMikado。そして、コシミハルさん経由で知ったTelexでした。YMO関連から広がっていった感じですね。Mikadoが所属していたクレプスキュールは、ムーンライダーズの鈴木慶一さんあたりが推していたのもあり、Antenaあたりも知ることになります。80年台後期は、脱テクノポップからネオアコ経由でワールドミュージックに行き、聴く音楽を見失って、テクノポップに回帰したような憶えがあります。
そうして、Forever RecordsでLioを本格的に知り、東京に引っ越してきて神宮前にあったMade In Franceっていう小さなレコード屋さん(その後、渋谷に移転しM... In Franceとなる)に通うようになり、フレンチ方向の見聞を本格的に深めた感じです。
具体的には、Lioを知ったことで、LioをプロデュースしたJacno、JacnoのグループのElli & Jacno、JacnoがプロデュースしたMathématiques Modernes、JacnoやMathématiques Modernesが所属したCelluloidレーベルの作品群…と広がっていきます。