キーワードの一つは
ディスコミュニケーション
2012年にパルコ劇場他で上演された三谷幸喜氏演出の同作では、ロパーヒンの「桜の園を別荘として切り売りすればこの土地に住み続けることが出来る」という言葉を、誰もが小馬鹿にしながら半笑いで聞き流しているという演出だったと記憶しているのですが今回の鵜山版では貴族階級の人間たちがロパーヒンの言葉を馬鹿にするのではなく、それがある意味正しいことだと分かっているのに認めたくない、聞きたくない、現実を直視したくない……そんな空気が醸し出されている様に思いました。
『桜の園』(撮影:谷古宇正彦)
『桜の園』は一幕と四幕が子ども部屋、二幕が屋外で三幕が客間という設定で展開していきます。そんな中、四幕を通じてガイドが特に気になったのが「椅子」の存在でした。子ども部屋に置かれた椅子は色も形もバラバラで、屋外のベンチは変な形に歪んでいる、そして客間の椅子は全て違う方向を向いていて形にも全く統一感がない。もしかして、この「椅子」が登場人物たちを象徴しているのではないか、と。
誰もが自分の言葉を他者に投げるのに、他者から投げられた言葉を真剣に受け止めようとはしない。農奴制が崩れ、それまでの身分制度や価値観が崩壊していく中、バラバラの方向を向き、他人と心からコミュニケーションを取ることをどこかで拒絶している様にも見える登場人物たち。その姿はどこか現代に生きる私たちの姿と重なるのです。
そんな現実を見ず、自分が置かれた状況を変えていこうとしない人間たちの中で、ほぼ唯一の”希望”となるのが、ラネーフスカヤの娘・アーニャ(山崎薫)と大学生・トロフィーモフ(木村了)の存在でした。二人が新たな世界に旅立っていく様子が、物語の中で一つの救いになっていたように思います。
『桜の園』(撮影:谷古宇正彦)
チェーホフが描いたのは今より100年以上前にロシアで生きる人々の姿ですが、時代も国も生きる環境も違うのに、人間の本質というのはどこか同じなのだな……と『桜の園』の登場人物たちを見て改めて思うのでした。
◆新国立劇場『桜の園』
11月29日(日)まで新国立劇場・小劇場にて上演
⇒ 公式HP