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演劇の街・下北沢の魅力に迫る!

住んでみたい街ランキングではかならず上位に入り、いつも多くの人で賑わっている下北沢。今回はこの下北沢を「演劇の街」という視点で捉え、その魅力や下北沢が「演劇の街」と呼ばれるようになったゆえん、代表的な劇場などをご紹介します。

上村 由紀子

執筆者:上村 由紀子

演劇ガイド

演劇といえばシモキタ、シモキタといえば演劇

住んでみたい街ランキングでは常に上位に入り、平日・休日問わず沢山の人で溢れている「下北沢」TOWN。2013年3月には小田急線・下北沢駅の地下化工事も終了し、街を分断していた踏切も撤去されました。下北沢と云えばライブハウスあり、お洒落なカフェや雑貨屋さんあり、古くからの商店街や老舗あり、と盛り沢山な街ですが、今回は「演劇の街」という視点でこの街の魅力に迫ってみたいと思います!
下北沢

下北沢駅南口

半径500mにこんなに沢山の劇場が!

下北沢の劇場、その殆どは駅の南口サイドに集中しています。1番の代表格は下北沢のランドマークともいえる「本多劇場」。 1982年に開場して以来、多くの劇団がこの劇場の舞台に立ち、この劇場の舞台に立つことを目標としてきました。その本多劇場から歩くこと3分、スナックや小さな飲食店が密集する鈴なり横丁の2階にあるのが「ザ・スズナリ」。 キャパ(客席数)は150~170席と少ないものの、作り手や演者にファンが多く、最近では落語の公演も行われるなど幅広い世代から支持されています。

下北沢駅を降り、南口改札を出た目の前のビルにあるのが「駅前劇場」「OFF・OFFシアター」。他にも本多劇場周辺には「劇 小劇場」 「小劇場 楽園」。 鈴なり横丁には映画館を改修した「シアター711」。 さらに「Geki地下リバティ」 「アレイホール」 「下北沢タウンホール」と、半径500mのエリアに何と10の劇場やホールがひしめいているのです。劇場街と言われる日比谷や、小劇場が比較的多くある新宿や池袋と比べてもその数は圧倒的で、日本全国を探してもこんな街は下北沢だけではないでしょうか。  まさに「演劇の街」ですよね。

全ては一人の男の夢から始まった

本多劇場外壁

本多劇場の外壁にはこんなアピールも

元々は宅地と地域の商店街で成り立っていた下北沢がなぜ「演劇の街」として全国的に認知されるようになったのでしょうか。そこには一人の男性の壮大な夢がありました。本多一夫氏 下北沢本多劇場グループの代表です。上に挙げた10の劇場やホールの内、7つの劇場は全てこの本多劇場グループに属しています。

元々新東宝の映画俳優であった本多氏は、映画会社の倒産と共に住み慣れた街・下北沢でスナックの経営を始めます。このスナックが評判を呼び、氏はいつしか数多くの飲食店を有する実業家へ転身するのですが、30代後半に自分が夢見た芝居の世界に戻る事を決意し、若い演劇人の為に劇場を作ろうと立ち上がるのです。

当時の下北沢は、そこに暮らす人たちが行き来する街であり、この場所を目指して外から人が集まる、という性質の街ではありませんでした。当然、そんな所に劇場を作るなんて、と否定的な意見ばかりが渦巻く中、1970年代半ばに現在本多劇場がある土地で(当時は駐車場だったそうです)行われたテント芝居に観客が押し寄せる様子を見て、本多氏は「下北沢と演劇は相性が良い」と成功を確信。1981年3月に稽古場を改装して作った「ザ・スズナリ」をオープンさせ、翌1982年11月には客席数386席・ロビーも備えた「本多劇場」を開場します。

氏はその後も続々と個性の違う劇場をオープンさせ、それらの劇場で上演される舞台に沢山の観客が足を運んだことから、いつしか下北沢は「演劇の街」と呼ばれるようになるのですが、大企業や公共の資本が入らず、個人でこれだけの劇場を所有し、運営している例は他にないと思います。国や自治体、企業がプランニングしたのではなく、たった1人の男性が抱いた夢から1つの街が「演劇」というキーワードでどんどん賑わっていく。これって凄い事だと思いませんか?

続いては、シモキタのあの劇場をPick Up!
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