演劇ガイドが”今、会いたい舞台人”にインタビューする【演劇cafe】。第1弾は劇団四季の俳優・芝清道さんです。ご出演中の舞台『ジーザス・クライスト=スーパースター』終演後の自由劇場(東京・浜松町)で、熱く濃いお話を伺って参りました!
芝さん

劇団四季 芝清道さん


――今日は是非見て頂きたい物があってお持ちしました。1987年に芝さんが『ジーザス・クライスト=スーパースター』(以下JCS)に群衆として出演なさった時のパンフレットです。


パンフ

JCS・1987年上演時のパンフレット(ガイド私物)

うわあ 懐かしいですね。初めてこの作品を客席で観た時に物凄い衝撃を受けたんです。とにかく群衆が熱くて”うわ、何だこの人達は!”って。音楽もカッコ良くてそれまで観てきたロマンティックな恋愛ものとは全く違う作品のインパクトに打たれ、自分もこの舞台に立ちたい!と思いました。実際に出演させて頂く事になってからは傾斜の強い舞台上で毎日必死でしたね。


ジーザスとしてユダを見た時に、何て可哀想な奴なんだ、と思ったんです

――その後はシモン、ユダ、ジーザスと演じ、今回はユダ役でのご出演ですが、2011年、2012年にジーザス役を経験なさった事で、これまでと何か変わった事がありましたら教えて下さい。


ジーザスは心底大変な役だと思いました。彼はそれが本当に自分の使命なのか、この啓示は本当に正しいのかといつも苦しみ、悩み、葛藤しながら行動を起こしていく。そしてその行動が自分の弟子達を不幸にする結果を招く事もジーザスは全部知っている訳です。それなのにやらなけばならない。そんな深い思いを抱えて演じる事はある意味とても重かったです。

また「ゲッセマネの園」から鞭打ちまでのシーンが本当に辛いんです。共演する俳優たちとは親しいのですが、その彼らがひとたび群集という役を演じるとなると、ジーザスを演じている僕に対して心の底から人を憎んでいる形相で罵倒してきたり、唾を吐きかける様な勢いで石を投げてきたりする。どうして……何もここまで……という思いがジーザスの受難の一部と重なるような感覚でした。

芝さん

『ジーザス・クライスト=スーパースター』 エルサレムバージョン ジーザス役 撮影:上原タカシ


そんな思いを体感し、ジーザスとしてユダと対峙した時に強く感じたのが「何て可哀想な奴なんだ。」という感情だったんです。こんなにも自分を愛してくれているユダという男があのような最期を迎える事をジーザスは分かっているのに、彼をある意味追い込んでしまう。このジーザス側の思いを実感した事で、今回ユダを演じるにあたり新しい視点が生まれましたね。

その新しい視点というのは、ユダは果たして一時の熱に浮かれたような状態でジーザスを裏切る行動に出てしまったのか?本当はもっとクールで知的に状況を分析して裏切りと言う行為に及んだのではないかという捉え方なんです。ユダは群衆とは全く違って……実は彼こそがジーザスの1番の理解者であり、右腕であり、参謀だったのではないか。あの熱に浮かされた群衆達の中、ユダは誰よりも冷静にその場に立っている。……でも自分の感情の部分ではジーザスに対しての大きな葛藤もあり、それが外側に弾けるのではなく、心の中の深い所へと向かって行き、悩んだ末に最後は行動を起こす……今回はそういう表現が出来たらと思っています。例えるなら……青白い炎、そんな感じでしょうか。

芝さん

『ジーザス・クライスト=スーパースター』 エルサレムバージョン イスカリオテのユダ役 撮影:荒井健


ひたむきに、誠実に、正直に、素直に役を生きる


――1987年からJCSに関わっていらして、カンパニー(座組み)の中での立ち位置はやはり変わってきていますか?


とにかく若い俳優達にはひたむきに、誠実に、正直に、素直に役を生きるという事を機会があれば伝えるようにしています。26年間この作品に関わっている訳ですから出来る範囲の事は、ね。ただユダという自分の役もありますからその辺りのバランスは難しいですが。

大体本番の3時間前にウォーミングアップをする為に劇場に入って、本番の時間を迎え、気負ったり変に力が入った状態でなく、舞台袖にスタンバイしてすっと舞台に上がり第一声を自然に出す。そんな状態でユダという役を演じられるよう心掛けています。

芝さん

『ジーザス・クライスト=スーパースター』 ジャポネスクバ-ジョン イスカリオテのユダ役


――12月7日からは、同じ作品を全く違う舞台装置、メイク、音楽アレンジで上演する「ジャポネスクバージョン」が始まりますね。


あの白いまっさらな舞台に立つと、自分の全てが露わになるような感覚に陥ります。「エルサレムバージョン」はリアルに砂漠が表現されている事もあり、自然に作品の中に入って舞台に立てる所もあるのですが、「ジャポネスクバージョン」は本当に役の人物として存在し、足の裏にしっかりと重力を感じて立っていなければならない難しさがあって……より怖いんです。基本的に作品の中で役を生きるという事に変わりはないのですが、歌舞伎のような様式美も大切な世界なので、その様式の中で動くという意識はあります。

ユダの自殺の場面に関しては、能の”死”に至る動きがモチーフになっています。その様式をしっかり体現する事でふっと色々なものが見えるような気もします。日本人が脈々と繋いできた伝統芸能の素晴らしさを再認識しますし、演じていていつも凛とした気持ちになります。


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