コメディーを批判することの不毛
「ギャラクシー街道」は純然たるコメディー映画です。ただ、一口にコメディーと言っても、個々の作品を比べるとかなり振り幅は広い。寅さんもコメディーだし、モンティ・パイソンもコメディーです。かと言って、寅さんのファンがモンティ・パイソンを見て、同じように笑えるかといえば、大半の人は表情が固まってしまうはず。だからと言って、コメディーで笑えなかったことを作品のせいにするのは、あまり賢明ではないとガイドは考えます。先に述べた通りコメディーの振り幅は広いですから「作品が自分に合わなかった」と納得すべきではないでしょうか。
これまでの三谷映画がどちらかと言えば寅さんよりの笑いを盛り込んでいたのに比べ、今回は少しモンティ・パイソン寄りにシフトしていた観はありますが、とは言え酷評するのはお門違いと思わずにはいられません。
本当に批判されるべきは
もちろん、個人の感想をブログ等にアップすること自体は、ガイドがとやかく言う事ではありません(徹底批判したうえで、ブログ読者に対して「絶対に見るな」と言い放つのは、さすがに行き過ぎのようにも思いますが……)。許せないのは、そうした声を拡散させることによって、全体的にバッシングの空気をネット上に作り上げた「勢力」です。何故わざわざそこまで面倒くさいことをするのか疑問に感じますし、その裏にある思惑のことを考えるとゲンナリしてしまいます。
……と批判ばかりしていると、こっちまで暗黒面に落とされてしまいそうなので、最後に自分なりの「ギャラクシー街道」についての、新たな鑑賞法を述べさせていただきます。
主人公ノアは三谷自身!?
コメディー映画ということで、「笑えるか笑えないか」という点ばかりが言いはやされていますが、「ギャラクシー街道」の中でもっとも見るべき点は、やはり香取慎吾演じる主人公ノアでしょう。通常のエンタテインメントには珍しい、共感しにくい彼のキャラクターにこそ、作り手(=三谷幸喜)の思いが込められているように思えてなりません。黒縁メガネでやたらと神経質な言動を繰り返し、過去に小劇場で手腕を発揮した経歴を持つノア。ビジュアルは別として(笑)、三谷幸喜がモデルなのは一目瞭然です。そこを充分に意識した上で、ノアの怒りやとまどいや決断を受け止めてみることで、また新たな映画の見方ができるのではないでしょうか?
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『ギャラクシー街道』公式サイト