父性的な機能は「社会のルールを教えること」
ひとりの人間として、どのように生きているのかが問われています
また、家長が絶対的な権力を持ち、家族を支配していた「家父長制」の時代には、家長が家庭内のルールも決めていました。女性は「子どもの頃は父や兄に、結婚してからは夫に、夫の死後(老いてから)は息子に従うもの」とされており、発言権を持ちませんでした。そうした背景もあったのでしょう。
「父性」も「母性」も、性別に関わらず、誰もが「両方」持っています。父親がより「母性的」だったり、母親のほうが「父性」が強い家庭もあるでしょう。ただ、子どもたちは「自分と同性の親」を、生き方のお手本(ロールモデル)にすることが多いようです。
暴力で人を傷つけるのは、どこから見ても「悪」いことです。暴力はいけないと子どもに教えておきながら、パートナーや子どもに暴力を振るっていたり、暴力に甘んじていたりする親を見ると、子どもは混乱します。そして、暴力の加害者や被害者になりやすくなります。暴力は、世代連鎖しやすいのです。
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威厳よりも「大人としての矜持」を
薄っぺらな「威厳モドキ」を振りかざしていたら、必ず嫌われます。これは会社の中でも同じですよね。暴力の正当化は、子どもを容赦なく傷つけ違和感を植え付けますが、その嘘(身勝手な言い訳)は、子どもが大人になる頃には必ずバレます。威厳は「総合人間力」ですから、親になったからといって、一朝一夕にかもし出せるものではないですよね。ふんぞり返ってみても、言葉数を減らしてみても、子どもには「お父さん、どうしちゃったの?」と心配されるのがオチ。
「やさしいパパ」、いいではないですか。やさしいことを理由に、子どもに舐められることはありません。やさしさと甘さは違います。舐められるのはむしろ「言動に矛盾のある大人」なのではないでしょうか。人には厳しいのに自分には甘いとか、言っていることがコロコロ変わるとか。大人のずるさは、実は子どもにはお見通しです。
「大人としての矜持」を大事にしましょう。社会のルールを守りながら、社会の一員として働き、生活している姿を見せること。自分らしく生き生きと人生を楽しんでいること。
子どもが「大人ってスゲエ」と思うのは、実は、日常の何気ない振る舞いだったりするのではないでしょうか。