舞台版で描かれる
大佐の「自分探しの旅」
『サウンド・オブ・ミュージック』撮影:堀勝志古
「本作は史実を扱っているので、非常にシリアスですし、リアリティがありますね。演じ手としても、おとぎ話を演じているのとは違う、生々しさを意識して演じています」
――一つ興味深く思うのが、大佐とエルザの縁談が政治信条を巡る会話がきっかけで破断になるが、その直後のマリアとの会話では、そういう政治信条確認は出てこないという点です。マリアとの愛は、もっと本能的なものだったのでしょうか。
「エルザとの関係には経済的なものや、貴族同士のつながりということがあったのでしょう。対して、マリアとは人間の原点である愛、そういう深いもので繋がっていたのだと思います」
――大佐は“曖昧さ”を勧める友人マックスのようには生きようとせず、ナチスへの反感を隠しません。そのため追い込まれてゆく彼は、不器用にも見えます。
「男にはみな、そういうところがあるんじゃないかな。僕も不器用ですよ。大佐も、海軍では大佐にまでなった人だから他人をまとめるのには長けていたでしょうけれど、いざ自分のことになるとうまくいかない。そういった不器用さを感じながら、周りのキャストとの歯車の合い方をみつつ、演じています」
――ダブル、トリプルキャストと共演するなかで、日々新たな発見があったりするのでしょうか。
「人によって一つのことに対しても感じ方が違いますからね。毎公演同じことをやっているようで、微妙に違うものになる。そこが瞬間芸術である舞台の面白いところだと思います。自分では(出来が)わからない部分もありますから、とにかく演出に従って、感じて、台詞を大切に相手にかけて、相手から台詞をいただいて…ということを大切にしています。気持ちは新鮮でいなくてはいけない。ともするとアンテナが効かなくなって、知らない間に台詞が出かねないので、そうならないよう、いつも新鮮でいようとしています」
――そのためにどんなことをされていますか?
「自分で自分を律するしかありません。演じる前には“頑張ろう”と気合を入れますし、終われば“今日はどうだったかな”と振り返ります。自分を客観的に見る目、聴く耳を持っていないとダメなんですよ。毎公演きちんと“感じる”ためには、疲労を次に残さないということも大切にしています。精神がしっかりしていれば肉体もついてきますが、その逆もまたしかりで、肉体がしっかりしていないと精神的にも影響を与えてしまうので、公演が終わってからのケアにもきちんと時間を割くようにしています」
――リチャード・ロジャースによる本作の音楽はいかがでしょうか?
『サウンド・オブ・ミュージック』撮影:下坂敦俊
――このプロダクションは、ロンドンではアンドリュー・ロイド=ウェバーがプロデューサーに名を連ねています。彼の本作への思い入れを感じますが、ロイド=ウェバー作品を得意とされている村さんは、ロイド=ウェバー作品の中にロジャース音楽の影響を感じますか?
「それはあまり感じませんね。両者の音楽は別物であって、だからこそロイド=ウェバーは惹かれるのではないでしょうか。ロイド=ウェバーはリズムも含めとても複雑な創り方をする人ですが、ロジャースのシンプルな創り方を見てとって、こんな表現ができるんだと思ってるかもしれないですよね。そういうところで尊敬しているのかもしれません」
――本作の中で、特にお好きな曲は?
「それはもう、「すべての山へ登れ」ですね。自分でもよく歌っていますよ。子供の頃は声が出なかったけれど、今は高い声が出ますから。歌詞もいいし、歌いがいがある曲ですよ。ラストシーンで山を登りながら大佐自ら歌いたいほど(笑)、好きな曲です」
――大佐を演じる上で、ご自身が課題にされていることは?
『リトルマーメイド』撮影:下坂敦俊
――お客さまたちに『サウンド・オブ・ミュージック』をどうご覧いただきたいですか?
「誰もがきっと一度は耳にしたことがおありの、素晴らしい音楽を楽しんでいただきつつ、親と子の愛も観ていただきたいですし、この舞台は大佐の“自分探しの旅”というふうにも作られていますので、ぜひそこを観てほしいですね」
*次頁からは村さんの「これまで」をうかがいます。当初はピアニストに憧れていた俊英少年。その彼が自分の“声”に気づいたきっかけとは?