近田春夫&BEEFからジューシィ・フルーツへ
ガイド:ちなみにピンナップスというバンド名は、ジューシィ・フルーツのバンド名候補の一つだったという話もありますが、その辺りはご存知ですか?
イリア:
近田春夫さんが名付けたことは知っています。彼の引き出しの中にはいつも素敵なアイテムがたくさん入っています。
ガイド:
ジューシィの母体は、近田春夫さんのバックバンド的なBEEFでしたが、ここからジューシィとしてデビューするというのはもともと計画されていたことなんでしょうか?
イリア:
それは無かったと思います。あくまでも近田春夫のバックとしてやっていました。近田さんのレコード会社移籍もあり、暫く近田さん自身はレコード発売が出来なかったのです。その頃「山本翔と一風堂」のようにソロとバックそれぞれでレコーディングをするスタイルがあって、先にバックで出しましょう!となりました。近田さんはまた戻って一緒にやるつもりだった筈ですが意外な展開になり、ヴォーカルではなくプロデューサ-となりました。
ジューシィ・フルーツ、デビューで大ヒット
ガイド:ジューシィは、1980年6月に発売されたデビュー・シングル『ジェニーはご機嫌ななめ』で、いきなりベスト5まで駆け上がりました。僕の中では、イリアさんはミュージシャンでありつつも、アイドルでした。この快進撃には予感みたいなものはあったのでしょうか?
ジェニーはご機嫌ななめ
Drink! (amazon.co.jp)
イリア:
何せ初めてのリードヴォーカルだったので、それで一杯いっぱい、ヒットがどうのとか全くありませんでした。アイドル全盛の時代でテレビでは松田聖子さんや小泉今日子さん等沢山のアイドルの方ととご一緒しましたが、私自身はそのような歌番組より野音などのコンサート会場の方が落ち着くなぁ、やっぱりアイドルとは違うし…と感じた事を覚えています。
ガイド:
ギタリストのイリアさんは、ジューシィでヴォーカルも務め、ファル セットで歌っていますが、こういう歌い方はもともとしていたのですか?
イリア:
GIRLSの頃にスロッグというバンドと一緒にグリースのカヴァーアルバムを作った時に、初めて1曲歌いましたが、それは普通の歌い方です。
ジューシィ・フルーツでリードヴォーカルとなり何曲か歌う際に、「ジェニーはご機嫌ななめ」だけがキーが高くどうしようと悩みながら、レコーディングの前日お風呂に入りながら裏声で歌ってみたらいい感じだったので、録るときにやってみたところ近田さんやディレクターにも気に入ってもらえてあのファルセットヴォイスが誕生しました。
ガイド:
「ジェニーはご機嫌ななめ」は、その後Perfumeも含め多くの人にカヴァーされましたが、この曲が今も多くの人に愛される理由は何だと思われますか?
イリア:
もともとの楽曲の良さ、歌詞やキャッチーなメロディの繰り返しがとても印象的なのだと思います。いろいろな方が歌ってくださって私も嬉しく思っています。
ガイド:
ちなみにジューシィは、Perfumeの先輩格となるアミューズ所属だったんですよね。アミューズにはどういった経緯で入ることになったのですか?
イリア
最初は近田春夫事務所に所属していて、そのデスクがアミューズ内にあったのです。思わぬ展開に近田春夫事務所だけでは対応できなくなり、アミューズの方が手伝うようにもなって、その後バンドごと正式にアミューズにお世話になりました。