テクノポップ/アーティストインタヴュー

待ちわびて、もう60さ…一色進

還暦を迎えて、エレクトロニックなソロ2作目『60』をリリースしたばかりの一色進さんが登場! シネマ結成秘話から、ナイジェル、タイツ、ジャック達、そして60歳の現在に至る音楽歴史を語っていただきました。目指すべきは、まだ聞いたことのないポップ・ミュージック。

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

テクノポップガイド

シネマ誕生

ガイド:
はじめまして、一色進さん。今回は、還暦アルバム『60』のリリースを記念としてのインタヴューとなりますが、これまでの一色さんの歩みについて先ず伺えればと思います。

一色:
よろしくです。遡りますか? 遠い昔の話なんで、記憶が定かではないんですが、まあお伽噺だと思えば多少事実と違ったとしても誰かに怒られたりしないかな。
susumuisshiki

一色進


ガイド:
はい、是非。一色さんはシネマのメンバーとして1980年にデビュー、アルバム『Motion Picture』を1981年に発表されています。松尾清憲さんとはどのように出会い、シネマとして活動することになったのですか?

シネマ GOLDEN☆BEST* (amazon.co.jp)
*アルバム『Motion Picture』も収録した2枚組ベスト盤
cinemagoldenbest

シネマ GOLDEN☆BEST


一色:
オレが高校の頃やっていたクラウディというバンドがありました。クラウディは、高校生なのに当時東京城北地区では、とっても動員力のあったバンドでまだライヴハウスとかなかった時代だったのですが、北区公会堂とか豊島公会堂とかを借りてライヴをするわけです。満員とかにするので当時のプロのバンドとかが前座でやらしてくれとか言われて、実際やっていました。コンテスト荒らしとかもしていたクラウディは、高校卒業する頃芸能事務所にスカウトされます。そこでクラウディの活動とともに、同じ事務所の看板タレントだったエルザのバックバンドとかもしていたんですね。

やがてバンドは解散してしまうのですが、クラウディのドラマーが後のシネマのオリジナルドラマーのムーチョこと村田研です。オレとムーチョは、ドラム&ベースのセットでバックバンドの仕事や、スタジオの仕事とかも続けていたんです。エルザには、バーニーという兄がいて、友人でした。そのバーニーがこんど博多から面白い二人組が上京してきて、ドラムとベースを探してると言うじゃありませんか。その二人というのが、松尾清憲と中原安弘だったんです。シネマ誕生。

ガイド:
巡り巡って、シネマのメンバーが揃うんですね! 当時は、どちらかと言えば、ニューウェイヴ全盛。シネマはビートルズ以降の英国モダンポップの継承者と僕は捉えているのですが、同じ趣向の人たちが集まったという感じだったのでしょうか?

一色:
どちらかというと、音楽的なつながりというよりも、そうやって出会ったので、ブリティッシュ志向というのは偶然で、最初はなんかギャグのセンスが噛み合ったという方が先だったですね。とにかく4人揃うと面白かったです。スタジオでも冗談ばかり言ってほとんどリハにならないみたいな。そんなスタートでした。

ガイド:
同時にシネマのメンバーの鈴木さえ子さんは、フィルムスにも関わっていたり…結構狭い世界だったのでしょうか?

一色:
さえちゃんがフィルムスに参加したのは、シネマ解散後です。もちろん当時フィルムスの存在は知ってましたが、仲良くなるのはもう少し後でしたね。
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