早稲田大学その他学校多数、
周辺には商店街も
早稲田と言えば、言わずと知れた学生街。地名は生育の早い稲(早稲)を植えた田という意味で、元々は牛込村の一部だったそうですが、いつしか村として独立したのが江戸時代のこと。当時は茗荷の産地として知られていたそうです。その後、大隈重信が創立した東京専門学校(明治35年に早稲田大学の改称)が明治15年にでき、以降は早稲田大学とともに発展してきました。
東京メトロ東西線に副都心線、
都電荒川線も利用可
こうした変化の要因のひとつは利便性の向上です。明治時代からの都電荒川線(実際にはに加え、昭和39年には東京メトロ東西線早稲田駅が開業していますが、これを機に大学の近くに下宿する人が減ったというのが地元の声。その後、平成20年には東京メトロ副都心線西早稲田駅が開業、利便性が高まったことで建替えられるなら、より大きな建物に、新しい建物でより高い賃料をという動きが高まったであろうことは想像に難くありません。通り沿いを中心に駐車場になっている土地が増えたのも、建替えその他を睨んでのことと思われます。 神田川や甘泉園公園、胸突き坂と
自然、地形が楽しめる立地
街としての楽しさで言えば、歴史と高低差のある街並みがポイントでしょう。早稲田キャンパスの大隈講堂の脇には大隈庭園とリーガロイヤルホテル東京がありますが、ここは江戸時代、彦根藩井伊家や高松藩松平家の下屋敷だったところで、大隈重信はここを明治17年に購入しています。戦災で全壊に近い被害を受けたものの、現在は復旧され、都心の中にあってたっぷりの緑を感じられる場所になっており、芝生でごろごろするのは楽しいものです。
都電荒川線の早稲田駅を超え、神田川沿いまで行くと春には桜が楽しめます。そのまま、江戸川橋方面に向かうと途中には胸突き坂と呼ばれる急で細い坂道があり、上がったところには熊本藩細川家の永青文庫があり、その向かいにはかつて松尾場所が住んだ関口芭蕉庵。これ以外にも神田川から目白通り沿いには名所旧跡があり、散策にはうってつけです。
戸山キャンパスの向かいには冬至の「一陽来復」のお守りでも知られる穴八幡宮があり、蟲封じのほか、商売繁盛や出世、開運に利益があるとか。戸山キャンパスの脇の箱根山通りを登っていくと、都内で一番高い山である箱根山(44.6m。ただし、自然の山ではない)があります。ここは江戸時代、尾張藩徳川家の下屋敷だった場所で、その時の庭にあった築山がこの箱根山だとか。戸山公園自体も高低差があり、地形好きなら興味を持っていただけるのではないでしょうか。
新築マンションは6000万円から、
昔ながらの下宿なら3万円台から
最後に住宅事情を見ていきましょう。山手線内側の、利便性の高い場所ですから、古くから開発は進んでおり、周辺も含めてまとまった土地の供給はさほどありません。最寄りの高田馬場駅周辺ではそれでも再開発などもあり、200戸、300戸といった規模のマンションが建つこともありますが、早稲田まで来ると数十戸でも珍しくなってきます。新築マンションで言えば、65平米で6000万円以上といったところで、数もそれほど多くはありません。
中古も物件自体はないわけではないものの、現時点での供給は少なめ。そして人気のある場所だけに古くなっても、それほど安くなっているわけではありません。築40年~、早稲田駅から10分圏で見ると70平米で4000万円~、50平米でも2500万円~などとなっており、単身者向けの広めのワンルームでも築30年で1500万円ほどはします。
新築建売一戸建ては土地40平米台の3LDKが6000万円~。非常にコンパクトな住宅になるので、階段部分が多く、あまり使い勝手は良いとは言えません。高齢者にも親切とは言い難いので、若い時期に住むと割り切ったほうが良いかもしれません。
賃貸はお隣の高田馬場、神楽坂に比べるとお手頃。ワンルームマンションで7~8000円程度は違うようですが、これは物件次第です。目安としてはワンルームマンションで8万円弱、2DKで13万円~、3DKになると20万円~といったところ。数は少なくなってはいますが、木造、築40年~で共同玄関、共同トイレのいわゆる下宿であれば3万円台から。最近はシャワールーム、洗濯機共同などという物件も出ているので、そうした物件であれば安く、かつ以前よりは快適に暮らせるかもしれません。
以上、学生街早稲田を見てきました。他の大学の多くは高台にキャンパスを構えることが多いのに対し、なぜ、早稲田だけが低地なのか、長らく疑問に思っていましたが、今回歩いてみても疑問は解けず。ただ、土地の高低差が大きく、街としては面白い場所であることはよく分かりました。利便性と歴史、高低が一度に味わえる場所のひとつとして考えてみても良いかもしれません。