不妊症

空の森クリニック訪問記(沖縄)(2ページ目)

今回は沖縄の「空の森クリニック」に参りました。実際行ってみて、今までの不妊治療専門クリニックとは一線を画したコンセプトだということが分かりました。とにかくイイ意味で「ぶったまげた!!」というのが本音です。

執筆者:池上 文尋

今、先生がお話くださっていることは、つまり、先生に関わる患者さんやスタッフの方みなさんに輝いてほしいと思っていらっしゃるということですよね。

sora

病室の様子です。広くて明るくて、まるでリゾートのホテルのようです。

全くその通りです!
輝いていただくための一助として私の人生があればいいのかなと思います。だから、このクリニックが私のものだとか、そういうことではなくて、みんながここを起点に輝いて、いきいきとしてほしいのです。一生懸命治療をしてもできないような命を私たちはいただいているので、その人生を輝いたものにしてほしいと思います。それは、私自身の人生も含めてのことです。そして、それが、本当の目的だと思います。

私の思いを形なり、環境にしていって、そこの中にいることで、スタッフにまず「いい目」をもってもらえたらと思います。ゲストにいい医療サービスを提供するためには、スタッフがストレスのない、満たされた環境の中にいなければならない。どんなにガミガミいろんなことで縛っても難しいだろうと思います。

このクリニックを作るときに、スタッフが一番よい職場環境の受益者になってほしいという思いがあり、プロデューサーの佐藤卓さんにも建築家の手塚貴晴・由衣さんにも、そのことは伝えてありました。

佐久本哲郎先生が来られることになった経緯などお話頂けますか?

6年近く前になりますが、ずっと1人でやっている頃、ものすごく仕事が忙しくなってきて、このままではダメだなと思い始めました。そして、佐久本哲郎先生に「誰かいい先生はいらっしゃらないでしょうか」と相談してみたところ、先生が「俺がいく」と言ってくださったのです。佐久本先生が「俺とお前が2人で一緒にやることが沖縄の生殖医療をよくできるから」とおっしゃってくださったのです。

前のALBA OKINAWA CLINICでも、自分の名前を入れなかったように、みんなで輝いて、それで評価してもらえるクリニックを作ろうと考えていたのですが、やはりどこかで「自分のクリニック」という思いがありました。
sora

ナースステーションです。開放感があります。


ですが、佐久本先生が来てくださることになり、そこで「本当に公の医療施設をつくらなくちゃ」と覚悟を決めるきっかけになりました。佐久本先生は日本の生殖医療の歴史の中のお一人ですし、沖縄の生殖医療を代表する方ですから、先生と一緒にやるということになれば、やはり公のものにしなければいけないという思いになりました。

それで、琉球大学の元准教授の神山先生や琉球大学の後輩の先生方など、沖縄で生殖医療をやっていらっしゃる先生方に出来るだけ集まっていただきました。今でも沖縄から、本土の不妊治療施設に行っていらっしゃる患者さまもいらっしゃいますが、技術面では他のところに行かなくてもいいように、生殖医療分野の沖縄の聖地をつくろうという思いで始めました。

このクリニックのコンセプトメイクは今までにない斬新なものですが、どのようにして造られていったのでしょうか?

この土地が見つかった時に、以前からずっと広告等をお願いしていた友人であるグラフィックデザイナーに話をしました。彼は、私が病院にたくさんの人を呼ぶためではなく、真意を伝えるために広告を出すということをよく知っている人なのですが、この土地を見てもらって、銀行などに交渉する時に見せるためのイメージ図を作ってもらいたいと話をしたのですが、彼から「お前が作りたいものは、建築屋に言っても作ってもらえないよ」と言われました。

そこで、どうしたらいいかものと相談したら、想いを形にするのがグラフィックデザイナーだと説明され、日本のトップのグラフィックデザイナーである佐藤卓さんを紹介してくれました。

佐藤さんにこのプロジェクトの話をしたら、とても忙しい人で、お金では動かない方なのですが二つ返事で「やりましょう!」と言っていただいてプロジェクトが始まりました。実際に、佐藤さんに土地を見ていただいて、沖縄でもコンセプトなどについて詰めていきましたが、それから2ヶ月ほど何もご連絡がなく、「お忙しいからかな……なんの儲けにもならないからな……」と思っていたところ、ある日突然お電話をくださいました。
sora

院内にカフェも併設されています。


「徳永さん、今日東京に来れませんか。今日、ぱっとひらめいたので、すぐにでもお話がしたいんです」とおっしゃるんです。それが金曜日だったと思いますが、私は「突然今日はいけませんが、月曜日になら行けます」ということで次の月曜日にお伺いしました。

私の想いを言葉に現わしたら「空の森」となりました。先程もお話しましたとおり、我々の存在は宇宙の中の一つですよね。小さいけれど、宇宙の中を構成するものであり、宇宙の中だから、そうそう自分が思った通りには行かない。何か大きな力の中で生かされている感覚ですね。

佐藤さんとお話する中で、そういうところを共有していました。子どもができるとか、生命ができるとかって、いろいろ考えてもできないんじゃないか。一生懸命考えていろいろやっていた時はできなかったけど、「もういいです。先生、ありがとうございました」と言った途端に妊娠したりすることがあります。だから「頭を空っぽにして治療に望む」ことが重要なのではないか。

「空の森」ってイメージすると、「え?空の森?」ってなりますよね。その瞬間に、不妊治療のことが頭から抜けて、思考がぱっと変わりますよね。それがいいなと思いました。実は、空っていうのは 空(くう)でもあり、空っぽっていう意味でもあり、頭を空っぽにして、生命の源でもある森に来てください、という思いを込めましょう、ということになりました。
sora

空の森クリニックのコンセプトを表現した絵本です。


それから、森は生命の源ですね。沖縄本島の南側は戦争で焼け野原になってしまい、サトウキビ畑はあっても森は全然ないので、佐藤さんが「ここに森をつくりませんか。その森に通うことで子どもがつくりやすくなる環境をつくりませんか」とご提案くださいました。

実は私も、東京にあるような人がきちんと手を入れて何百年も守っていけるような森を作りたいと思っていたところだったので、鳥肌が立つような気持ちでした。森の中の建物をお願いするとしたら、誰が適任かという話になった時に、佐藤卓さんからご推薦があったのが、手塚貴晴、由比夫妻でした。彼らの作品に「ふじようちえん」という世界的に有名な幼稚園があるのですが、その幼稚園は、敷地の中に元々あった木が建物の中を貫いて立っています。その木は建物からにょきっと生えていて、子供たちは、もちろん園庭でも遊ぶのですが、その木をつたって屋根に登って走り回ったりして遊ぶことができるようになっているのです。それが彼らの代表作で、世界でも賞を総ナメにしているのです。

そしてそれと同時に、「絵本を作りましょう」というご提案をいただきました。建築家に話が行く前だったのですが、黒塚直子さんというアーティストが、色をぐっと抑えた、大人の絵を書かれる素晴らしい方なので、絵本を作りましょうということでした。

佐藤さんというデザイナーさんにプロデュースをお願いしたら、普通は病院なのでプロジェクトの中の建物や設備に目が行くのですが、それと同等に環境づくりを重要視してくださいました。

来られる方が頭を空っぽにスカっとなって、うずうずした気持ちが消えていくようなそういう環境を演出するためのツールとしてアートを使うことを、建築の打ち合わせと同時にスタートできたんです。普通は建物ができました。じゃあこの絵はどうかな、という形で飾りますね。でも逆に、絵を実際に飾る場所として、ここに壁をつくろう感じでした。これは私では全くできなかったことだと思います。そういうふうにプロジェクトは進んで行きました。

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